国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

帰納と演繹から考える志

僕の属している学生団体では"志"という概念を大切にしている。そう簡単に見つかるものではないし、一度見つけたらはい終わり、というものでもない。今回はこの"志"について深めてみる。

 

 

志とは何か

志をなぜ持たなければならないのか

帰納と演繹

3つの価値から考える

あなたにあった考え方をすればいい

まとめ

 

 

  志とは何か

志とは何か?それは、

"理想の社会を実現するために、全力をかけて成し遂げたいと思えること"

だと考えている。

つまり、志を持つためには理想の社会を描くことと、自分の熱意が湧くものを見つけている(≒価値観を知る)必要があることになる。また、当然価値提供ができている必要がある。

 

理想の社会を描くためには、過去や今、未来の社会がどうなっているのかを知らなくてはならない。学生のうちから確度の高い社会認知をすることは難しいが、具体化してみよう、社会認知してみようとすることが大事だと思う。

 

自分の熱意が湧くものや、価値観を知る作業は自身の過去を遡っていくアプローチを取ることが多い。原体験も大きな要素になるだろう。

(原体験については以下のブログでまとめている。)

jackshima.hatenablog.com

 

 

 

志をなぜ持たなければならないのか

志の定義をしたところで、次にたまに言われるなぜ志を持たなくてはならないのか?という問いについても考えてみる。

 

まず論理的に志を持たなければならない理由を話す。

我々は普段意識しづらいが、人に支えられて生きている。つまり社会に参加している一人なのだ。

そんな社会の一員だからこそ、全精力をかけていきたいものを見つけ社会に貢献する必要がある。ただ私的な衣食住を得るだけでは蟻と同じだ。

福沢諭吉の『学問のすヽめ』からの引用である。

要するに、自分たちは社会に生かされているのだから自身も社会に貢献する責任があるはずだというものだ。私的な欲求を追求するだけではだめだと説いているのだ。

 

個人と社会は対比して話される事が多いが、個人が個人の自由を持ってして生きられるのは社会が存在するからである。社会があるから個人は個人として生きることができている。社会がなくなれば個人で生きることは不可能なのだ。このことからも志を持たなくてはならない理由が見えてくるだろう。

 

 

次に、感情からくる志を持ちたいという流れを伝える。

 

 

リクルートワークス研究所の社会リーダーについての考察を読んでみてほしい。

トップページ|「社会リーダー」の創造

 

社会課題へアプローチする人と言われると図の課題起点のプロセスを思い浮かべる人が多いかもしれない。国連に務めたいと考えている人や、NPO職員のイメージが強いだろう。確かにそういった社会課題を自分が見過ごすことができないという思いが持てれば志を持つことにつながるであろう。いわゆる王道な考え方だと言える。

 

 

一方で僕にはそんな感受性はない、という人もいるかもしれない。そんな人も志を持とうと思うことはある。それが右の流れである。人は誰しも多かれ少なかれ力の欲求を持っている。自分を変えたいという願いを持っている。その感情から何者かになりたいという気持ちを強めていくことで志を持つことにも繋がっていくはずだ。ちなみに僕もこっちのルートの色が強いタイプの人間だ。勘違いして欲しくないのは資本主義社会において成功しさえすれば良いと言ってるわけではないということ。成功した先の目的が社会に向いているという大前提を据えている。各国の首脳がみんなSDGsに関心がありまくりだったらどうだろう?多少今よりも社会は良くなっていると思わないか?社会的地位の高い人になることを社会を良くするための手段として捉えてみてほしい。何者かになりたいという最初は浅はかな願いだとしても、自分起点で本心のwantはやっぱり強い。偽善という人もいるかもしれないが、やらない善よりやる偽善だ。

 

 

 

 

 

 帰納と演繹から考える志

帰納と演繹という二通りから志を考える。

 

先ほど志とは理想の社会において成し遂げたいと思えることだと言った。だがこの文言だと基本的に思考プロセスは演繹的になりやすい。

 

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このピラミッドは以前、以下のブログで登場したものだ。

jackshima.hatenablog.com

 

演繹的に志を考えるとは、理想の社会(≒Vision)は何か?という問いから始まり、社会の成り立ちや構造をしっかりと学ぶ必要がある。社会認知が高ければ高いほど解像度の高い志を持つことができるのだ。

 

社会に求められていることは何かを知り、使命感に駆られて目指すパターンが想定される。

 

 

帰納的に考える場合は、自分がいいなとか好きだなと思うこと、判断基準(≒価値観)をどんどん昇華させていくアプローチだ。自分が好きなことは何?それが自分から隣の人まで広がっていくとどう?じゃあ理想の教室は?みたいな感じで社会に広げていく感じ。社会に繋げようとしていなくっても、俺はこれが好きだってものをどんどん続けていくと自然と社会に価値を届けれるレベルになってることもある。

 

 3つの価値から考える

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これは3つの価値という、お金2.0において提唱されている概念である。

画像で解説されている通り

・有用性の価値 便利で役に立つという価値

・内面的な価値 好きとかなんかいい!みたいな心に作用する価値

・社会的価値  社会全体に提供している価値

 

と分けることができる。

 

先ほどの帰納演繹の考え方とリンクさせることができる。演繹的な考え方では社会的価値を前提にして考えることになるし、帰納的な考え方では自分の好き起点で始まるので内面的な価値を持つ場合が多いと言える。どちらにせよ、ちゃんと価値を持っている前提がおかれている。

 

 

 

 あなたにあった考え方をすればいい

これまで帰納演繹どちらから考えるかという話をしてきたけれど、大前提あなたに合った考え方をすればいいと思う。

 

「誰にどんな価値を与えるのか?」という問いに対して答えやすいか、自分はどこに思いが乗りやすいのかで志を見つけるアプローチを使い分ける。

 

演繹一辺倒で志が見つかる人は、例えば政治家みたいにこの国をよくするためにはどうすればいいのか?ということについて考えるのがもともと好きで、社会的価値の追求をしたいと強く思う人にとってはやりやすい考え方だろう。僕も演繹で考える方がどちらかというと合ってるタイプだ。

 

帰納一辺倒で志が見つかる人は、Youtuberとかかな。自分の好きなことを夢中でやっていくうちに知らないうちに極められて社会に価値が与えられるようになってきたパターンだ。

 

 

2つのパターンを紹介したが、多分ほとんどの人はこの2つのパターンの中間だと思う。自分もそう。演繹8の帰納2くらいが多分自分はいい塩梅だ、といったようにグラデーションがある。

 

 

自分はどんな人なのか考えて、帰納演繹の両面から考えていくことが大切だ。

 

 

 

 まとめ

・志とは"理想の社会を実現するために、全力で成し遂げたいと思えること"

・志は論理、感情から持つべきだと言える

帰納演繹の考え方があり、内面的価値、社会的価値が親和性が高い

・人それぞれ帰納演繹で志が持ちやすいバランスがある

 

 

 

 

 

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