国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

負け癖とGap

こんばんは、久しぶりの投稿です。

僕のブログは二種類あり、

①自分の感情のみを元にしてつらつらと書くブログ

②自身の学びとリサーチを通して、ある程度たしからしさを担保しているブログ

がある。②は執筆するのに時間がかかるためあまりかけないが、①なら結構短時間で書くことができる。また①の方が評判が良かったりもする...w

①をなるべく書きながら同時並行で②を書き進めて時々投稿するというやり方にしようと思う。

 

 

本題に入る。

僕は幼い頃から苦手なことに努力継続というものを掲げてきた。実際にそうだなと思うことが多いし、ウサギとカメなら僕はウサギだと思って生きてきた。呑み込みは早い方だと自負していたし、ぶっちゃけ頭の回転も早い方だ。だけど、努力ができない、そんな部類の人間だと自己定義していた。天才ではないし、努力もロック・リーみたいにできるわけじゃないからどこにも行けず、悶々とするが理想だけ見える、一番不遇だ...なんて悲観を中高時代によくしていた。「もっとバカに生まれたほうが幸せだったのに」なんてことを思っていた。いわゆる厨二病なのかもしれない。w

 

 

しかしこの二年間くらいはその感情に対して、

「不真面目だとか努力しないとかいうけど、本当だろうか?なんだかんだやってるよね。うんそうだ。」

と思い込むことによって蓋をすることに成功していた。

 

実はこの蓋をする、思い込むという行為は大事だ。

僕は「優しい人間ではない」という自己定義もしていた。

 

だからこそ人に親切にしたり、めっちゃ丁寧な接客をすることが柄にないなと感じてうまくできなかったり不器用に表出してしまうことがあった。

 

 

しかし、この話をしたところ「そんなことはない」「そう思える君は十分優しい人だ」などの言葉を周りの方々に伝えてもらえて、自己評価が間違えているんだ、自分は優しいと自己定義を上書きすることができた。そういう心持ちだと自然と行動も変えやすかった。

 

 

次のステップは習慣化である。思い込むという行為を通して行動することへの抵抗を下げても、一時的なもので習慣化しなければ効き目は切れる。切れては思い込み、切れては思い込みを繰り返していくうちにいつしか負け癖がついてしまう。

 

 

負け癖がつくと厄介だ。何らかのきっかけでモチベーションが上がってやる気になったとしても、心のどこかでどうせしないだろうなとか考えが広がるだけで行動には反映されないんだろうなと冷めた目で見る自分がいるのだ。

 

 

自分に期待をかけれなくなったら終わりだと思う。他者と自分自身のどちらからの期待が原動力になりやすいのかは人によって違う。どっちももちろん必要だろうけど。自分への期待値の高さが掲げられる理想の高さと比例する。

 

 

人は誰しも理想と現実のGapを抱えている。そして人が耐えられるGapの開きには個体差があれど限界がある。その限界が近づいてきたとき、楽になりたいという思いから理想を下げるのだ。こうして、高い理想は失われていく。

 

 

Gapが広がってきた時、その乖離を小さくする方法は理想を下げることだけではない。現在の自分を高くしていけばそれだけ乖離は小さくなる。今すぐ小さな行動を変えることでそれは可能になる。調子がいいときは理想を達成できると信じられるはずだ。

 

 

負け癖がつくと現在の自分が上がっていくとは思えないから、Gapを縮められなくてしんどいのだ。残念ながら、あっと驚く解決策は存在しない。

 

 

小さくていいから、今すぐ1つ何かをすることだ。その成功体験を積み重ねることでしか、負け癖は取れない。今僕がこのブログを書いたのも、負け癖がよぎったり無力感に苛まれたからだ。少しでいい、5分でいいから取り組むんだ。大丈夫、やればできる。

 

 

どうか自分で自分の可能性や理想を潰さないで欲しい。自戒も込めて終える。

 

 

 

 

 

 

 

 

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