国志夢走

人々の視座を上げ、未来への責任を持った良い国に、若者の可能性を信じて機会を与える国に、Visionをもち自分の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。

努力のイメージを劇的に変える努力不要論

 結論。

この世界には間違った努力がはびこっている。

正しい努力とは、闇雲に苦労することではなく日頃から内省の習慣をつけたり、将来的な成功のための選択をする機会を多く持つことだ。

 

こんな話をします!最後まで読むとグッと理解できるようになってます。

 

 

 

 

----------以下本文 -----------

僕の抵抗感の強い言葉の1つに努力がある。日本は努力という言葉を持て囃す国だ。

 

コツコツ頑張る、根性論、清貧な美徳などと努力は相性がいいのだろう。漫画でも対して努力もせずに成功する主人公なんて出てこない。

 

努力という言葉のもつ、圧倒的正論感がどうも苦手だ。努力継続という言葉に染み付いた愚直さや汗臭さが嫌いだ。スマートにこなす方がかっこいいじゃないか。

 

僕がこうやって努力にコンプを拗らせているのは、おそらく中学受験での投資勉強量とそれに見合った合格という結果が得られなかったことの反発心によるものだ。

 

 

「努力じゃなくて才能なんだ、天才には凡人はいくら努力をしても勝てやしない。」

 

 

こんな神話を掲げて、天才でもない僕はどこにも行けない...なんて悲劇のヒロインぶって悲観する時がよくあった。

 

 

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www.amazon.co.jp

最近読んだ中野信子さんの『努力不要論』という本が、脳科学に基づいて努力について語られていて大変興味深かった。精神論に帰着されがちな努力を科学的に表していて飲み込みやすかった。

 

 

今回はこの著書を元に、努力との正しい付き合い方を模索していきたい。

 

 

努力を美化する社会的なバイアス

 

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トーマスエジソンの有名な言葉にこういうものがある。

 

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。

 

 

この言葉はあのエジソンもほとんどが努力によってできているという努力を重視した美談として認識されていることが多いだろう。

 

しかし、エジソンの真意は「99%努力したとしても1%のひらめきがなければ全てが無駄になる」だったということはあまり知られていない。

 

 

この事例以外にも努力を重視した成功譚はたくさん存在している。それ自体は問題ではないが、オチを努力は美しいにしようとするあまりに軽視されて語られないものが多いと著者は主張していた。

 

 

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日本では明治時代ごろから努力信仰が始まったそうだ。列強諸国に追いつくためにもこれから日本を強くしていく必要があり、一丸となって国の発展を目指すためだと紹介されている。

 

戦時中の清貧や、贅沢しません勝つまでは、といったスローガンと似た匂いを感じなくもない。当時の管理者にとって都合がいい概念だったのかもしれない。

 

 

「努」という漢字は、奴隷の奴に力と書く。今やっている努力は果たして自分のしたいことなのだろうか?我々を管理するために、社会が巧妙に設計したものではないだろうか?

 

 

社会がうまくまわるから、努力を持て囃すように我々に刷り込んできた可能性があることを知っておく必要はあるだろう。

 

 

 

 

 

努力と苦労を履き違えるな

 

努力を根性論と感じる理由に、「努力=苦労」という等式が成り立っていることが挙げられる。

 

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どうやらこんな名言Tシャツもあるらしいので、世間にこの認識があることは間違いない。

 

 

著者は真の努力についてこう述べている。

真の努力というのは本来、成果を出すために必要な

①目的を設定する

②戦略を立てる

③実行する

という3段階のプロセスを踏むことである。

 

目的や成果を達成するための手段としての努力だ。なのでこの3段階のプロセスは納得できるものだ。

 

この3段階のステップを踏むために苦労はついてくるかもしれないが、努力=苦労として、苦労することを目的化するのは間違っている。

 

 

努力は人間をダメにしてしまう側面も持っているという。努力をしている感覚が自分をすごい人間だと誤認させる。頑張ることが自分を冷静に見つめさせることを妨げる。

 

努力そのものが楽しくなると、その他のことが考えられなくなる傾向があるという。

 

 

とりあえずやってみるというマインドは時には重要だ。だが、そのさきにあるものが何かという視点は持ち続ける必要がある。

 

 

 

才能との付き合い方

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努力を賛美する理由に、「才能は変えられないものとして存在するから不平等だ」「後天的に逆転できると信じられないとやってられない」などの才能にまつわるものがあるだろう。

 

 

僕もその気持ちはすごくよくわかる。努力は誰にでもできる開かれたもので、それによって誰とでも平等に競うことができる。そう思いたいのだ。

 

 

それでも著書は同情せずにこう言い放つ

生まれ持った才能で活躍している人を見てずるいと感じてしまう時、その人は自分が持っている才能には気づいていない。

 

これは刺さった。相手を妬んでいる時、意識は相手にあって自分に何があるかを探そうとはしていないのだ。

 

 

 

では、才能はどうやって見つけるのか?

著者によると

才能があるかないかと言うのは自分が持っている適性を知って、自分の評価軸を確立できているかどうかということに尽きる。

 

もしも自分に才能がないと思ったら、自分を取り巻く環境と自分の持っている資質のどこが適応しないのか考える機会を与えられたと思え。

 

自分の嫌いなところは自分でも気づいている自分の資質だ。

 

 

このことから、

才能は自分の中に確かにある。

ただし、自分が持っていたらいいなと思う憧れている才能とは違う。

 

こんなことがよく起こってるのではないかと類推した。

 

 

 

努力する人しない人

ポテンシャルがあって努力する人とポテンシャルがあるが努力しない人の比較の場合、意志力の違いが現れるという。

 

では意志力の強い人間とはどういう人間なのか?

 

意志力の強い人と弱い人の差は、人という生き物はそもそも意思が弱いということを知っているか知らないかという差だ。

 

 

 

日頃からもっと頭を使え!

これまでの記述から自分のことを正しく認識しているかが重要なことがわかる。

 

才能も、意志力の話もそうだ。真の努力の戦略策定も自分を知っていなければ正しくは立てれまい。

 

 

脳化学で言えば、前頭前皮質の機能が高いか低いかの違いである。

 

これは普段の生活野中でなるべく頭を使うことで鍛えることができる。

 

知識の深度や経験値からくる判断能力、意思決定力は後天的に伸ばすことができる。日頃から内省の習慣をつけたり、将来的な成功のための選択をする機会を多く持つことだ。

 

 

 

この著書を読んで、僕の努力コンプレックスは少し和らいだ。読者の方々は努力に対する見方は変わっただろうか?

 

間違った無駄な努力はやめて、意味のある行動をしよう。

 

 

 

異文化理解ってなんやねん

最近耳にすることが増えてきた「異文化理解」という言葉。メディアでも言及されることがよくある。

 

 

なんか社会性の高い言葉のようで、SDGsが流行ってきているのと似た印象を覚えている。

 

 

良い考え方だろうから流行っていくことはいいことなのだが、とりあえずこれ言っとけばわかってるっぽいとか社会性高いだろうって腹の底が透けて見えるときが嫌いだ。

 

 

かく言う僕もはっきりと異文化理解とは何かを説明できないので、異文化理解ってなんやねんってことを考察していきたい。

 

 

専門家でもなんでもない素人なりに、納得のいく自分の解を探してみる。

 

目次

 異文化理解の歴史

 異文化の対象

 理解するとは

 異文化理解の先にあるもの

 

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異文化理解の歴史

異文化理解という言葉はいつ頃から使われ始めたのだろうか?

 

最近つくられた言葉で流行り出したものなのか、昔から存在していたがクローズアップされたものなのか?

 

 

調べてみたが、なかなか難しい。素人な僕が簡単に語れるようなものではない。わかったことは異文化理解という言葉の歴史は浅いということだ。

 

 

類似する言葉として、「多文化共生」「異文化コミュニケーション」「グローバリゼーション」などもヒットした。

 

 

ここまでの調査から仮定するに、外国語教育の重要視、インターネットの発展や多国籍企業の登場によるグローバル化の促進、労働人口減少による移民受け入れの必要性etc...

 

 

これらの出来事が異文化理解という言葉を取り上げさせている背景にありそうだ。もっと詳しく知りたい方は論文などをいくつか読んでみてほしい。

 

 

 

異文化の対象

前章の歴史を踏まえると、異文化の対象とは外国にまつわるものになりそうだ。文化は国と切り離せないものだという考えがあれば「異文化=外国 」は腑に落ちやすいのかもしれない。

 

男女だって異文化だしなんなら身の回りのものは全て何から何まで異文化だ!という話によく行き着きがちだが、異文化理解という言葉の登場背景を考えるとこれは拡大解釈だ。

 

日本国内においても例えば関西と関東で文化が違うという事例はあげられるだろうし、間違いなく異なる文化で異文化だ。

 

 

だが、異文化理解のテーマにはこれらは入ってこない。派生して関係してきたり応用できたりはもちろんするだろうが。

 

 

マジックワード化しがちだが、異文化の部分については外国にまつわるものと定義するのが整理しやすいと結論づけた。

 

 

 

理解するとは

異文化を少し整理したところで次は「理解」という言葉についてだ。個人的に異文化理解という言葉を聞いたときに引っかかるのはこの「理解」の部分だ。

 

 

なぜ理解をチョイスしたのか、そもそも理解とは何を指すのか?

 

 

まず理解という言葉を聞いて連想したのが、マーケティングの考え方だ。

 

AIDMAとか聞いたことがあると思う。めっちゃざっくりいうと認知段階→感情段階→行動段階のフェーズで人は購買行動をとるというもの。

 

あとは理解→納得→共感っていう流れの考え方。

 

理解とはただそうであることを知ることで、感情も伴うものが納得、その上でアクションを起こすという一連の流れが存在する。

 

 

となると、異文化理解は「へぇ〜そんな考え方があるのか」「君はそう思うんだね」って段階を指すことになる。

 

 

国にまつわる違いを違いとして認知することだ。

 

 

 

異文化理解の先にあるもの

なぜ異文化納得じゃないのか?なぜ異文化共感じゃないのか?

僕の行き着いた答えは、

 

「違いを違いとして認識する知識もないから、まずはそこからやらなきゃいけない!」

 

という説だ。 

 

 

そりゃ違いを認め合い、分かち合って共に歩んでいけるならその方がいいだろう。だが足し算ができない人に微積分をやらすのは無茶なのと一緒で、物事には順序がある。

 

 

異文化理解がある程度下地として出来上がった先にはどんな光景があるのだろう?

 

 

NESTという海外インターンシッププログラムは全ての国の人をあったかく包みこむ日本をつくるという目標を掲げている。

nestproduct.kobe.aiesec.jp

 

 

 

このように問題意識を持って動いている人たちは、すでに異文化理解の先を見据えていることがわかる。

 

 

 

感情的にも受け入れて共に行動していく世界は、線引きが減っている。内と外を区分する線が曖昧になっていく。そうして混ざり合って彩られていく社会が待っているんじゃないかな。

 

 

まだ僕も理解の段階にいる一人で納得や共感まで至った時の光景を具体的に想像することができないけれど、なんかいい。そんな気がしてきた。

 

 

 

 

 

 

 

僕が世界一周をしたいワケ

先日書いた年始の抱負のブログでも少し触れているが、僕は今年世界一周をする。

jackshima.hatenablog.com

 

今回は、なぜ世界一周をしようと思ったのかについて話したい。まだ自分自身明確になっていないところは多いのではっきりしないところがあるかもしれないが、こうしてブログにすることでクリアにしていければなと思う。

 

 

 

世界一周をしたいワケ

①シンプルに憧れてきた

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大学生になったら旅をしたい。これは幼い頃からなんとなく思い描いてきたいわば夢だった。知り合いの大学生が海外に友人と自由に旅をしていることが羨ましかった。

 

少し怖い気持ちもあったが、いつかは僕もと思っていた。

 

歳を重ねていくにつれて、行動範囲は広がる。小学生が学区という縛りのなかで基本的に生活する中、中高生になるにつれて繁華街や泊りがけの旅行に出かけるようになる。

 

 

僕はこれまでこのような行動範囲が拡大するタイミングで自由を感じてきた。

 

 

小学1,2年生の頃に一時間くらいかけてバスと路面電車を乗り継いで通学していた時期があった。幼稚園までの行動範囲からグッと広がって、最初に感じた恐怖と意外といけた時の達成感を今でもなんとなく覚えている。

 

 

この感覚を今度は世界の規模で味わいたい。お金がもーっとあれば前澤社長みたいに宇宙にも行きたいのだけれど...笑 

 

前澤さん、100万円は当たらなかったので月旅行に連れて行ってください。笑

 

 

 

 

②知的好奇心を満たしたい

 

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これが多分根幹にある世界一周をしたい理由だ。欲望には逆らえない。

 

自分で旅のルートを調べて計画を立てたり初めて見るものにたくさん出会える経験は、考えることが好きで知的好奇心の強い自分にとって魅力的だ。

 

 

せっかくこの地球に生まれ落ちたのに、ほとんどのフィールドを探検することなく人生を終えるなんて勿体無い。

 

 

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RPGをプレイするときにせっかく船を手に入れたのに、今までいけなかった大陸に行かずにゲームを終えるなんてことはしないはずだ。

 

 

ゲームではこれが当たり前なのに、現実社会ではほとんどの場所に訪れないのは変だ。

 

 

もちろん現実社会ではゲームほど簡単ではないし、だからこそゲームで冒険が楽しまれているとも言える。だとしても僕は行ってみたいのだ。

 

 

③挑戦的に行動したい

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思考>行動なタイプで泥臭く足を動かさなくちゃいけない時も、本当に追い込まれないと動けていない。

 

ものぐさだったり、失敗を恐れて挑戦できない。致命的な弱点だ。

 

いろんな人と話したり機会に飛び込むような行動は随分できるようにはなってきたけれど、ダメもとでやってみるみたいな挑戦心と行動力には欠けている。

 

環境依存なこともどうにかしたい弱みだ。自分のためだけに一人で頑張ることがなかなかできない。個人で自走する力を伸ばしたい。

 

 

世界一周のバックパックは自分で何もかもしなくちゃいけない。次の町にいくための交通手段もその日の宿も自分で見つける。

 

言葉が通じなくともなんとか意思疎通して動かなくちゃどうしようもない。そんな苦労を乗り越えて目的地へと辿り着いたり、築かれた縁は自分の糧になるはずだ。

 

なりふり構ってられないから恥もいい意味で気にしなくなる。

 

そうやってCanの拡大した自分にであいたい。

 

 

「予想を超える」が今年の抱負。

 

死ぬわけじゃないしってノリでどんどん挑戦して突っ走りたい。

 

 

どうなってるか想像がはっきりつくわけじゃないけど(むしろつかないから良い)、価値観が大きく変わっていることを期待している。

 

 

④自分の可能性を広げたい

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いろんな国を続けて見てまわることができるのが世界一周の特徴だろう。

 

日本とスペイン、日本とモロッコの違いではなく、スペインとモロッコの違いといった異国間の比較がしやすいのは面白いことだ。

 

それらの比較を通じて、自分はもっとこんな雰囲気の国が良いとか国民性だったり幸福感といったものの考察が深まるはずだ。

 

そして自分の「働く」につなげたい。

 

 

「少し前まで日本をよくするために官僚として働くことを考えていたけれど、本当に日本じゃないとダメなのか。」

 

「自分は日本ではなく、もっと違う場所で生きていくほうが幸せなんじゃないか?」

 

「いやいややっぱり日本が一番だ。これからもっとこんな国にしていきたいから国の舵取りがしたい!」

 

 

どんな結論に行き着くかはわからないが、少なくとも盲目的に日本しか知らない中で選択するよりもいいはずだ。

 

 

憧れている起業家の方は、文字通り世界中を飛び回って活躍されている。日頃からお世話になっている社会人の方も、大学生時代に長期間滞在していた経験から東南アジアでのビジネスをされている。

 

 

僕もこの人たちのようになりたいから世界を見に行きたい、いや見に行かなくちゃいけないと思った。世界を変えたいなら、まず世界を訪れる必要がある。

 

 

 

そんな大層なことを掲げないとしても、自分の可能性を広げる気がして無性にワクワクするのだ。

 

 

 

最後に

 

今は絶賛ルート策定中でやっとヨーロッパに入りそうな感じ。資金やらVISAやら予防接種やらややこしいことが多い。休学とか下宿引き払うための手続きもある。

 

 

でもそれだけしてでも、やりたいと思っているから本当にしたいことなんだと思う。

 

 

出発は5月予定(←3月にするかも?)で、もっとしっかりテーマを決めてもいいけど気ままに自由に感じるものを感じたかったりもするから悩ましい。

 

どちらにせよ濃密な旅に、かけがえのない経験に自分でしていく。

 

 

 

P.S

なるべく旅の間もSNSやブログなどで発信できるように頑張ります!

 

わからないことを聞いたり、何かお願いすることもあると思いますが何卒ご支援のほどよろしくお願いします!

 

 

旅ブログっぽい記事だけじゃなく、これからも組織論もラフな記事は上げていきます!

 

 

 

 

 

 

 

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3つのロールモデルタイプと活用法

 

はじめに

ロールモデル」という言葉を知っているだろうか?聞いたことはあっても正確な意味がわからないという人もいると思うので先にGoogle先生に聞いた回答をのせる。

 

ロールモデル」とは、自分にとって、具体的な行動や考え方の模範となる人物のこと。 人は誰でも無意識のうちに「あの人のようになりたい」というロールモデルを選び、その影響を受けながら成長するといわれます。

ロールモデルとは - コトバンク

 

調べるとこんな意味らしい。まあなんとなくあってたよ〜って感じだと思う。僕は今回さらに三種類くらいロールモデルを分けることができるのではないかということを伝えていきたい。

 

 

 

 

1.エトスロールモデル

この名称は筆者が勝手につけたもので、実際にあるわけではない(多分)ので悪しからず。対象のいわゆる人間性に対して憧れを抱くパターンだ。あの人のようになりたいと思う時に、成したことではなくあり方が浮かんだらこのタイプのロールモデルだと言える。

 

 

例えば、めっちゃ優しい人がいて僕もこの人みたいに寛大な大人になりたい...っていう感じ。

 

 

エトスロールモデルを持つことで、人はこういう自分でいたいという思いを忘れずに持ち続けて自らのエトスを高めていくことができるだろう。この人!って決めれる人がいない場合も、Aさんのこんな部分、Bさんのこんな部分...といったように一部分を見つけ出して組み合わせてもいいと思う。

 

  

ちなみに僕の場合だと、めちゃくちゃ頭キレキレなのに自由奔放だったり人のこと好きで愛に溢れた人に惹かれる。両刀使いな人に憧れるんだよね。

 

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キングダムでいうと昌平君みたいな。めちゃ知略に長けた名軍師にも関わらず、武も一級品なんて...かっこよすぎる。

 

 

 

2.レイヤーロールモデル

これはこの人クラスの人物になりたい、といったレベルや場合によっては社会的地位における目標となる人のことを指す。具体的な個人名がでなくとも、これくらいのことができている人でありたい、という基準値に据えることができればとりあえずいい。後々、その「これくらいのこと」をするためにはどうすればいいかを調べていくうちに具体的な個人に行き着くはずだ。

 

 

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イメージが湧きにくいと思うので具体例を挙げる。野球少年だとしたら、イチローになりたいというのとなんでもいいからプロ野球選手になりたいというのではレベルが違うことがわかるだろう。(どっちにしろ十分すごいとは思うが)

 

 

 

僕の場合だと、行政に意見を求められて国を良くするために見解を伝える機会があるレベルには到達したいと思っている。この場合多分、しがない一会社員じゃあ到底無理だろうし、仮に社長だとしても知名度がある程度あったり今後の国家の抱える課題と関連のある取り組みをしていなければ声がかかることはないであろうことは予想がつく。

 

 

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NewsPicks佐々木さんの著書日本3.0ではこのようなリーダーのレイヤー区分が紹介されていて近しい考え方だと言える。

言葉の定義を紹介しておくと、

・グローバルリーダー(GL):科学者でいうとノーベル賞、スポーツでいうとオリンピックメダリスト、ビジネスだと孫正義クラスの人間のこと

・ナショナルリーダー(NL):日本の代表企業経営者、スタートアップ経営者、医者、弁護士、官僚など

・ローカルリーダー(LL):日本各地で分野のリーダーとして活躍する人(ナショナルリーダーとは優劣は逆転する場合も往々にしてある)、志向性の違いである

・普通の人:国民全員がリーダーやエリートを目指す必要はない。普通の人の幸せのためにリーダーは頑張り、普通の人の存在がリーダーをリーダーたらしめている。普通に働けばワークライフバランスを充実させて幸せを感じられる社会。

 

 

もちろんこのピラミッドでいう上に行くことが是だと言うわけではないが、ざっくり大枠でどんなスケールの人物に行き着きたいのかをイメージしておくことは重要だろう。散歩で富士山に登ろうと思う奴はいないのと一緒だ。

 

 

3.ドメインロールモデル

自分が取り組んでいきたい課題や分野・志が一致、もしくは似通っていて自分の延長線上を走っている先人のことを指す。このタイプのロールモデルは一番参考になると言えるだろう。その人の轍を辿っていつ頃にどんな経験を積んできたのかを知るなどして、経験をトレースすることで追いかけ追い越していく明確な目標になる。

 

 

分野によっては開拓されたばかりで先人がいないこともあるだろう。また、自分の志やドメインが明確に定まっていることがこの手のロールモデルを見つけるための必須条件となるが難解なことだ。ロールモデルを見つけ出すことよりもそっちの方が難しい。

 

 

より具体的に自分のすべきことを見つけられたりアドバイスを得られるので、参考になる度合いはとても高いだろう。

 

 

 

最後に

一口にロールモデルといっても上述したようにいろんなタイプがある。自分が今持っているのはどのタイプのロールモデルなのかを理解して得るべき学びや活かし方を確認しよう。今自分にとって必要なロールモデルはどのタイプなのか考えて探そう。

 

 

ロールモデルは必ずしも必要なわけではないが、見つかることで良いことは必ずある。少しでも誰か読者の思考整理に役立っていれば嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

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2019年は予想を超える自分にであい続けたい

あけましておめでとうございます。2018年の夏に始めたこのブログも不定期ながら続けることができました。2019年はもっと頻繁に更新できるよう精進します。昨年から読んでくださっている方も、初めて読んだよって皆様もこれからもよろしくお願いいたします。挨拶はこのくらいにして本題へ。

 

 

年始の目標設定はどうするべきか

年始は今年はどう過ごそうかという目標設定をよく立てるだろう。2018年もきっと多くの人がしたはずで、でもきっと多くの人が何を立てたのかは覚えていないのではないだろうか?残念ながら僕もその一人である。Facebookの投稿を一年遡って、なんて言ってるのかを確認してみた。

 

 

こんなことを書いてました

▪️2017年の総括
悔しい、が先立つのですが、いいとこだけ見ると「人との出会い」に恵まれたなと思います。心を動かされて涙したことも少なくありませんでした。どんな感情であれ、揺さぶられることは幸せなんだと思います。

▪️2018年の抱負
「ありたい自分であること」
結局自己本位な人間です。でもそれなら、こうありたい、こんな自分ならかっこいいって感覚に忠実になることをしようと思います。
きっとそんな自分は誰かに価値を与えられているだろうし、自己実現の欲求ほど高次な幸せはないはずです。
もしダメだなと思ったら、それはありたい姿なの?かっこいいの?って問いかけてくださるとありがたいです。

 

 

2017年は悔しさをしょっちゅう感じていたことは覚えていたし、2018年はありたい自分であろうとすることも掲げたこと自体は覚えていないけれど意識していたように思う。shouldではなくwantベースで生きることができた。だからこそ、楽しんどい日々を過ごせた。

 

 

なぜ覚えていないのに意識できていたのだろうか?それは自分が自然と望んでいたことを掲げることができていたし、ある程度抽象的だったからだ。

 

 

抽象的な目標設定は自然と何をしたかではなくどうありたいかというあり方に帰着しやすい。思い起こしやすくて、飽き性な自分でも変わらず求め続けることができる。

 

例えば「一生懸命であること」という目標の場合、バスケに打ち込んで途中で種目を変えて将棋を始めたとしても一生懸命であり続けることはできる。

このように、いろんなことに当てはめることが可能だから抽象的な目標設定は良い。

 

 

もちろん定量的で期限を意識してガチガチに目標設定をすることも大事だが、一年など長期の計画には向かないと思う。少なくとも僕は一年間ストイックに定量的な目標を意識しながらこなし続けるなんて無理だ。日本人はルーティンをこなし続けることをすごいと思うことが多いが、ルーティンから外れたことにこそ驚きや発見はあったりする。

 

 

まあとにかく、

抽象的で心から願っていることを一年の目標にすればいい

ってことです。

 

 

2019年の目標は?

前章の考察を元にして、抽象的かつ心から願っていることを掲げるのを意識して目標を設定する。さて、僕が掲げる目標は(もうタイトルに書いてるけどもw)

 

”予想を超える自分にであい続けたい”

 

この目標に至った理由はいくつかある。

 

 

1つ目は大学に入ってからずっと所属してきたアイセックという学生団体を辞めることが関係している。

 

大学四年生も引き続き所属して活動にコミットするという選択肢ももちろんあった。かなり葛藤するものはあった中でも、環境依存という弱みや爆発的に自分が変わるイメージがわかずなんとなくどう一年を過ごすのか予想が立ってしまっていることへの違和感から選択をしなかった。

 

 

ある程度確実に困難で成長できるであろう選択をNOとして切り捨てたからには、今自分が想像もできない自分になって選択を正解にしたと言い切れる一年にしたいのだ。

 

 

この組織が好きだからこそ、理想人材として輩出されることで貢献したい。そのためには、自分の可能性はもちろん信じているけれどどうなっているか予想がつかないくらいじゃなきゃだめなんだ。

 

 

それに非連続な成長が続いていく人の方が魅力的だと思う。だからそうなりたい。

 

 

 

2つ目は先輩のnoteを読んでかっこいいと思ったからだ。

以下そのnoteのリンク

https://note.mu/katoken_diary/n/n7120329505b0

 

この方はアイセックの1つ上の学年の先輩で、今はcocoda!というスタートアップでエンジニアとして活躍している。

 

 

エピローグの

半年前の自分では想像できなかった自分になれていたので、ひとまず今年は及第点としたい。

 という一説に痺れた。

 

なかなか言えないことだし、自分自身の成長に何より自分が驚けるなんてそうないことだ。僕もこんな幸せな一年にしたい!

 

 

3つ目はキャリアを出来るだけ自由に考えたいからだ。

 

2018年の夏頃まで、僕は官僚になろうと決めていた。世界は周りたいと思っていたし、アイセックでの幹部経験はしっかりやりたい、官僚になるためのテスト勉強も時間を割く必要がある...ということで大体のやりたいことを元にした大学生活のプランは決まっていたのだ。

 

----------------------------------------
University Plan
■2018年度(3年)
1Q(アイセックフルコミ期間&単位)
2Q(アイセックフルコミ期間&単位)
3Q(アイセック、単位&バイトで貯金、実家から通う?)
4Q(アイセック、単位&バイトで貯金、実家から通う?)
■2019年度(4年)
1Q 休む(世界巡る)
2Q 休む(世界巡る続き、3~10月の八ヶ月が実質休暇合わせると休める)
3Q 資格勉強、就活(官僚と民間)
4Q 資格勉強、就活(官僚と民間)
■2020年度(4年)
1Q 資格試験本番、単位補填
2Q 入省確定??
---------------秋卒?(単位次第)
3Q 残りの単位回収
4Q
---------------21卒?
■2021年度(社会人?)
----------------------------------------

 

 

こんな計画を2018年の7月時点で立てていた。

でも実際は9月頃には官僚を目指すことを白紙に返しており、この計画は異なるものになっている。

 

 

白紙になった時に最初に感じたのは不安だった。先がある程度見えているからこそドメインが決まったり、とりあえず何者かにはなれそうな気がするという状況が安心を生んでいたのだと思う。それが無くなったから、慌ててじゃあ僕がしたいことはこれなんじゃないかと正解探しを焦っていた。不安を拭いたいと言わんばかりに。

 

 

そうやって見出した答えはどうも本物じゃない。これが答えだと思い込んで安心するのはむしろ危ない。決めようと考えることはもちろん大事だ。ただ決まっていないことに対して決めることを目的にしてはいけない。

 

 

逆に未定なことを肯定的に捉えてワクワクするという感情に転換していきたい。だからこそ予想を超える自分にであうことを目標にしたいと思った。

 

 

 

最後に

大きな事柄としては2019年は世界を周ろうと考えていて、その旅を終えたあとに自分は何を思っているのかはさっぱり予想がつかない。けど、期待は膨らんでいる。環境が変わるから自分が見つかるわけではないし、成長をするわけでもない。

 

 

でも未知にたくさん出会えて、価値観を揺るがして再構築できるのは魅力的だ。そのために旅はもってこいだと思う。

 

 

失敗を恐れて恥をかくのを怖がって行動できない自分とは決別していたい。もっと面白い人間になっていくので、見守っていてほしい。

 

 

なんか予想通りで無難だなぁと思ったら、教えてください!

 

 

 

 

 

 

 

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今年クリスマス感が薄いわけ

クリスマスが今年もやってくる〜♫ という歌がある。その通りでクリスマスはフランシスコザビエルが日本でミサを開いてから、宗教弾圧の時期は途絶えたもののずっと存在しているものだ。もちろんだから一昨年も、去年も、今年も存在している。

 

しかし、今年はどうもクリスマス感が薄いのだ。これは別に僕が予定がないからとかではない!...はず、です、はい。笑

 

実際にクリスマス感が少ないという声を不特定多数から聞いているし、以下のようなスレも立っている。

blog.livedoor.jp

 

今回の記事ではクリスマス感が薄い理由を探っていく。

 

 

 

メディア広告が理由?

バレンタインデーのチョコレートを送るという文化は業界が総出でプロモーションを行った結果作り上げられたものだ。実際日本以外の国ではプレゼントを贈るという習慣であり、チョコを贈るのが当たり前という文化ではない。

 

この事例からもわかるように、日本のイベントごとは結構メディアによる印象操作によるところが大きいと言える。

 

 

こちらの画像を見て欲しい。

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これは山手線の車内広告だ。クリスマスを通り越して、ゆく年くる年にかけたフライヤーをNETFLIXが打ち出している。

 

今はどちらかというと一年が終わるという年末感の方が先立つ。NETFLIXのような事例が多いからではないだろうか?

 

2018年のクリスマスイブは振替で祝日なもののクリスマスは平日の火曜日。うちの大学なんてまだ冬休みに突入していなくて授業がある始末だ。クリスマス関連商品はクリスマスを通り過ごすと大抵が売れ残ってしまうし、次にお正月というイベントがすぐに迫っている。

 

このような状況からクリスマス用に広告を打つよりも、一足早くお正月をターゲットとして宣伝していく方がコスパがいいと考えられたのではないだろうか?

 

 

今の大学生の価値観が理由?

僕は大学生で、身の回りの話を聞く年代も同様に大学生になる。クリスマス感がないと感じているのは大学生だけかもしれない。

 

 

以下の記事はレオパレスがひとり暮らしのクリスマス意識調査だ。

prtimes.jp

ひとりで過ごす人が七割以上、クリスマスに使う予算が1,000円未満が約36%、告白の理想のシチュエーションは自宅といった調査結果が挙げられている。これでは消費拡大は見込みづらいだろう。

 

 このような過ごし方が一般的なのだとすると、地方から来て一人暮らしをしている学生はさっさと帰省してしまう方がいいと考えてもおかしくはないだろう。実際に何人かの友人もさっさと実家に帰っている。実家に帰るとなるとまた年末年始感が高まってくると思うのだ。

 

 

需要予測の困難さが理由?

2018年2月に恵方巻きの大量廃棄が問題となった。

news.yahoo.co.jp

 

売店の需要予測は多くが経験則に基づくものなのだが、近年は上手くいっていないのかもしれない。

 

「販売機会ロス>食品廃棄物の再商品化費用」という構図から大量の食料廃棄が毎年起こっていた。

 

食品ロスへの反発は年々高まっていて、消費者の社会性向上をうかがわせる。

 

個人の志向性の多様化も叫ばれていて、需要予測はさらに難しくなっているし廃棄に対する反発も強まっていてハードルが高まっているのかもしれない。

 

 

 

 平成最後、が理由?

なんだかんだこれ。天皇陛下の誕生日が12/23にあり、平成の終わりを感じずにはいられなかっただろう。メディアも陛下のスピーチを取り上げていた。

 

今年の漢字は「災」

 

自然災害も多くどこか暗い印象のある2018年だなぁと思っている。オリンピックは2020年だし万博も決まって2025年。

 

みんな心のどこかで、早く次の年が来て欲しいと思っているのかもしれない。

 

 

2019年は終わってしまうのが名残惜しいような一年になりますように

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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EQリーダーシップから学ぶリーダーシップスタイル

[目次]

■EQとは何か?

■リーダーシップスタイル

■EQのコンピテンシー

■EQを高めていくには

 

EQとは何か?

EQとは何かと問われると、はっきり説明できる人は少ないのではないだろうか?EQと似た単語にIQというものがある。まずはIQから説明していく。

 

IQとはIntelligence Quotientの略で知能指数という意味を持つ。IQは他人との比較によって測定され、指し示しているのは知能である。では知能とは何か?物事を知り、考え、判断する能力。一言で言うと問題解決能力が高いということになる。

 

数年前はIQサプリという番組があったほど注目されていたり、ロザン宇治原や茂木健一郎が加入している高IQ集団のMENSAのメディア露出が多かった。しかし昨今は打って変わってEQが大事だ!という声も多い。

 

さて、それではEQとはなんなのか。Emotional Intelligence Quotientの略である。よく、心の知能指数なんて訳され方をする。ちなみに僕はあんまり高くないみたいです。ここ数年で年々下がってきてる感覚があります。下のリンクで測定しました。妥当性は知りません。笑

EQ測定

 

EQが高いと円滑に人間関係を進ませることができると見込まれている。傑出したリーダーのパフォーマンスはIQよりEQの高さが大きく影響していることがわかっている。リーダーに至るまでにすでにIQで淘汰されているという実態があるのも事実だが、やはり傑出するには人間関係調整に長けている必要があることがわかる。

 

 

今回紹介するEQリーダーシップという書籍は、ダニエルゴールマンというハーバード大学教授によって書かれている。6つのリーダーシップスタイルの紹介とEQコンピテンシーの存在、EQを高めていくにはという構成だ。本書の内容に迫っていこう。

 

 

リーダーシップスタイル

リーダーシップスタイルという言葉がある。これは人が自分のリーダーシップを発揮していく際のやり方を意味する。言い換えると人と協働する時の自分の得意なやり方と言えるだろう。

自分のこれまでを振り返ったり強みを元にして、自分なりに定義されることもあるのがリーダーシップスタイルだ。

 

しかし今回紹介するのは我流ではなく、6つの規定されたリーダーシップスタイルだ。どれが一番いいというものではなく、場合に応じて使い分けられることが大事だ。その中でも得意不得意を知っておくことや、全てを不得意だとしても使える状態にしていけると良いだろう。

 

 

1.ビジョン型リーダーシップ

もっとも、the Leaderという感じがするのがこのリーダーシップスタイルではないだろうか?リーダー自身が夢を語り、それをリーダーだけでなくみんなの共有のものにして魅了するのだ。目指すべき方向性を明確に示してくれるという特徴がある。

 

 

2.コーチ型リーダーシップ

マネージャーというイメージが近いかもしれない。メンバーそれぞれの思いを導き出し、組織の目指す理想へと結びつけていくことで人を巻き込んでいく。個人と組織のエンゲージメントを高め、メンバーのパフォーマンス向上を引き起こせるという強みを有している。

 

 

3.関係重視型リーダーシップ

人々の関係性改善によって調和を生み出すことにより、前に進めるリーダーシップスタイル。EQの高い人のイメージが特に強いのがこのスタイルだろう。組織の人の感情に注目し、ストレスや対立に橋をかけて結束を強めることができる。

 

 

4.民主型リーダーシップ

リーダーという肩書きを感じさせずに広く門戸を開いて意見を聞き入れていくようなスタイル。意思決定に巻き込んでいくことにより、コンセンサスを納得度高く取り付けることができる。現場の声を拾い上げやすいという強みもある。

 

 

5.ペースセッター型リーダーシップ

高い個人技で背中で語る感じ。目標とアクションを出しては率先遂行型であまり細かい指示出しはしない。ついて来いというもので、実力主義の環境であり周囲からリーダーの技量が認められている時に有効である。メンバーのモチベーションが低い場合は逆に突き放した形になってしまうため悪影響を引き起こす。

 

6.強制型リーダーシップ

コマンダーのようにトップダウンでどんどん指示を出して動かしていくスタイル。基本的には恐怖を伴うことが多いため短期的に結果を出すことは可能だが、メンバーは言われたことをこなすだけで成長しないことが多い。

 

 

 

さて、以上の6つのリーダーシップスタイルを読んで普段よく取っているのはこのタイプだなとか、あの人はこのやり方だな...などの想像ができただろうか?

 

5,6のリーダーシップスタイルはあまり好ましくないとも言われている。僕の場合だと5を取りそうになることが多く、マネジメントは好きではないとか、基準値の高いチームでやりたいという欲求が高い人は陥りやすいスタイルなのではないだろうか。

 

発揮すべき時に1~6を発揮でき、得意なもの苦手なものを捉えて向上させていこう。

 

EQのコンピテンシー

EQは四領域とそれぞれがコンピテンシーに分解することができる。それらを知ることで、EQとは何かをより深く理解できるだろう。先にコンピテンシーという言葉の説明をする。コンピテンシーとは行動特性のことである。行動特性とは、行動の背後にある個人の特性を意味している。

 

EQの四領域

個人的コンピテンシー(自分自身に対処する特性)と社会的コンピテンシー(人間関係に対処する特性)に大別できる。

 

○個人的コンピテンシー

■自己認識

・感情の自己認識:自分の感情を捉える

・正確な自己評価:自己能力判断ができる

・自信:自分の能力を信頼している

 

■自己管理

・感情のコントロール:気持ちのコントロール

・透明性:誠実さ

・順応性:変化に順応すること

・達成意欲:目標達成への貪欲さ

・イニシアチブ:自らチャンスを掴みとりにいける

・楽観:ポジティブなところをみる

 

○社会的コンピテンシー

■社会認識

・共感:他者の感情を理解して興味を寄せる

・組織感覚力:組織の政治力学を感じ取れる

・奉仕:他者のニーズを捉えて対応できる

 

■人間関係の管理

・鼓舞激励:ビジョンを掲げ、モチベーションを与える

・影響力:説得できる

・育成力:フィードバックなどで他者を育てる

・変革促進:新たな観点を生み出し、管理する

・紛争処理:意見対立を解決する

・チームワークと協調:チービル

 

 

EQを高めていくには

さて、ここまでリーダーシップスタイルとEQのコンピテンシーについて説明してきた。知識は得ることができても、実践に落とせなくては意味がない。

 

 

最後にEQを高めていくにはどうすればいいのかということを考えていきたい。

 

リーダーシップスタイルごとに親和性の高いEQがそれぞれ存在している。その関係性を導き出そうとしてみることがEQを高めるために重要なことだ。自分が使いがちなリーダーシップスタイルは、そのリーダーシップスタイルに関わりが深いEQが高いから選ばれている。今、リーダーとして活動していく中で足りていないリーダーシップスタイルは何だろう?そのリーダーシップスタイルと親和性の高いEQは何か?

 

このようにしてリーダーシップスタイルとEQを結びつけて、伸ばすべきだったりすでに得意なEQは何かと考えることがわかったと思う。

 

 

最後にそれぞれのEQをどう伸ばしていくかだが、習慣を生み出す他ない。拍子抜けな結露で申し訳ないがそれに尽きる。

 

 

自己認識のEQが高い人は、内省の時間が実際に多いはずだ。自分が感じたことをまとめずにはいられないし、振り返りをすることが当たり前になっている。このような日頃の行動を起こしていくことで行動特性は磨かれる。

 

 

コツとしては求めているEQが高い人の行動を分析することだ。その人がそのEQが高いのは日頃関わりが深い行動を取っているからである。それが何かを観察することで、習慣ごとパクってしまえばいいのだ。

 

 

習慣をつくりあげて、EQリーダーに近づいていってほしい

 

 

 

 

 

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