【キューバ①】革命の国キューバの表裏
少し停滞気味だった気分はいつの間にか高揚に変わっていた。
メキシコの次に向かうはキューバ。今回は久しぶりに訪問する前に少し調べてから向かった。機内でキューバ映画を一本見たり、メキシコの宿で二冊ゲバラの本を読んだり。インプットした上での渡航はやっぱり意気込みが乗っかってくる。緻密に調べすぎてしまうのも面白みにかけるけど、こういうことが感じられたらいいなぁというゆるい目標みたいなのが持てるとちょうど良いのだろうか。
ハバナ空港から旧市街中心部までは結構離れている。この移動はタクシーが一般的で、ローカルバスも存在しているとのことだが通貨の両替問題(キューバは珍しいことに、現地人用と観光客用で二種類に貨幣が別れている)などで少し面倒。
手練れの猛者のブログを漁れば安くバスでいく方法も見つかるだろうが時間と労力がかかることは覚悟してほしい。
僕はフライトの疲れもあり諦めてタクシーに乗車した。観光客向けの通貨はCUC(クック)という単位で、1cuc=1$となる。ちなみに現地人通貨はCUP。
独特の街並みを横目に見る。
街の中心部、象徴的な建物が国会議事堂。
キューバといえばで有名なクラシックカーも健在。ただ写真で見てわかる通り我々に馴染み深い所謂普通な車もあり、徐々に数が減っているという情報は確かだ。
観光客に需要があることは理解しているようで、クラシックカーと同じ形の新しい車が走っていたりもした。ただやっぱり味わい深さが違う。さびが足りないっていうとしっくりくるのかな。
国会議事堂は街のシンボル。夜もライトアップされていて、中心で輝いている。
治安がいいので、近くの店に繰り出す。ご当地ビールを飲むことも忘れずに。
宿は朝食もついてくる。安価で洗濯もしてくれるのでありがたい。
カサという仕組み。ホステル並の価格でどこか民宿感もある。
旧市街を歩くと古びた国旗やゲバラのイラストがところどころ。
物価もかなりさがってきて、ローカル向け通貨を用いることができる。
節度を持って利用させてもらう。
安価だが相応の単調な味のピザだった。
こちらは路地裏で出会った美人猫。
ハバナを一通り観光したところで、海の綺麗なエリアであるバラデロへ移動。
観光地であり、キューバで有名なお酒「ハバナクラブ」がお土産で売ってある。
熟成年数でかなり値段が違う。書いたいところだが、まだ旅は続くので荷物を増やすわけにはいかない。
お待ちかねのカリブ海。
旅行中に見てきた数々の美しい海に勝るとも劣らない。
奮発して、インクルーシブホテルに宿泊。
費用を払って仕舞えば、飲み食べ放題。そこら中にあるバーカウンターで、カクテルを頼んでは飲み続けた。
お腹がいっぱいになったら泳いで腹を空かせて、また食べてを繰り返す。
元を取ろうとする卑しい旅人だ。
最後は宿でゲバラの本を読み就寝。
悠々自適なリゾートを満喫しきった。
のちに行くハワイの海は足元にも及ばなかった。
キューバはアメリカに屈したかもしれないが、ゲバラのかっこよさは未だ根強いし、海の綺麗さは圧勝だ。
【メキシコ②】赤いポンチョを装備して、RPGの世界へ。
再び旅のやる気が回復したところで、メキシコはグアナファトの街へ。
シティから少し北の街で、とにかく綺麗な街並みなことで有名である。この街でしたことはとにかくひたすら映えそうな景色で写真を撮ることと本場のお酒をいただくことだ。
派手な色の協会がこの街のシンボルだ。
そんなRPGのような世界でも少し歩くと現実に引き戻されるような光景があった。
抗議活動に参加している人に聞いたところ大学への不満からの行動だったそうな。大学の階段が綺麗な場所なのだが記念撮影できるような感じではなかった。
安いけれどとてもおしゃれで街並みにぴったりな宿にチェックインを済ませたら、早速本格的に町歩きだ。
狭い路地を抜け、急な階段をなんども登っていくと見晴らしの良い高台につく。
街を一望できるこの景色が今でも脳裏に焼き付くほど美しかった。
高台にいた日本人の大学生にかっこよく撮影してもらった。旅を広める学生団体のメンバーでカメラも趣味らしくいい感じの構図に。ペルーで買った赤ポンチョがマッチしていてお気に入りの一枚だ。アイコンにも使わせていただいている。
夜になっても街は綺麗。別の魅力が顔を出し、iPhoneを持ち歩いて散策をする。僕が歩いた中では治安は良いという判断。
煉瓦造りで縦に高い住宅街。石畳の道路から見上げるのがオツなのだ。
白黒にしても映える。
電話ボックスの横に立つおじさんが被写体として決まりすぎてて取らずにはいられない。ぜひグアナファトに訪問したら夜の街も散策してほしい。
サンミゲルデアジェンデというすぐ近くの街へ移動。
ブランチにパスタを優雅に食べてからバスターミナルへ。
サンミゲルも街並みが綺麗なところで、12月でキリスト教を信仰している国なのでクリスマスっぽい装飾がそこら中に施されている。
幸せそうなおじさんと孫の構図に癒されながらいつものごとく町歩き開始。グアナファトよりだいぶ小さいのですぐに歩きまわれる。
町一番の協会は独特な造形。
フォルクスワーゲンの歪んだナンバープレートまでお洒落にさせる。
カラフルな布が青空にたなびいている。
夜になるとこの通り。男一人で散策するには少し寂しさが募るようなそんな景色だ。
バーで寂しく本場のコロナビール。
人生でテキーラを初めて美味しいと思った。ショットグラスの一杯に塩とレモンをあてにするささやかな晩酌を楽しんで、床についた。
【メキシコ①】ついに日常を求め始めた僕は旅人でなくなったのか?
マチュピチュを含め、短期間でなかなかにハードな南米旅。
その疲れからか、ペルーの首都リマで僕は寝込んでいた。
一緒にマチュピチュを旅した日本人大学生にフルーツを買ってきてもらうなど、助けを借りてゲストハウスで養生することとなった。
リマはかなり都会で、これまでのペルーの風景とは大きく異なるものだった。僕にはあまり魅力的には映らず、写真を全く取ることなくリマからメキシコシティへのフライトを迎えた。
メキシコシティはかなり治安が悪い印象だった。実際悪いのだろうが、滞在中は怖い思いをすることはなく局所的な悪さなのではないかと思っている。
メキシコはかなり発展した国の一つで、日本の食べ物もかなりある。
どうもリマ以降僕の心は高揚してこない。冒険心がすり減っていた。心に鞭打っても仕方がないので、気分が乗ってくるまでゆったりと過ごすことに決めた。
宿はメキシコシティのメトロからすぐにあるサンフェルナンド館という日本人宿。
到着して早々コンビニでご当地ビールを購入。
あとは近所の屋台のタコスをひたすら食べる。安くて美味しいので毎日でもいける。
到着初日はこんな感じでぬるっと終えた。
多分日本のお店がこっちに出店しているのだろう。本当に美味しかった。僕は無類のラーメン好きで、日本の美味しいラーメンには心底飢えていた。
セブンイレブンまである。
店内はこんな感じ。
日清の食品もかなりある。メキシコなら暮らしていけるだろう。
僕が求めていたのは日常だったのだ。
ベンチに座りペプシコを飲みながら、なんとなくモヤモヤしていた違和感の正体を掴むことができた。
犬の散歩を見ていいなぁと思ったり、日光浴を楽しんだり。別に日本でもできることを求めていた。
非日常の連続こそが旅だと思っていたが、とうとう非日常にうんざりしてしまったのか。ワクワクすることが減ってきて、安定を求め始めたようだ。
薄々気づいていたが、僕は多分旅に向いていない。旅ができない人ではないというのも確かなことではあるが、心から楽しみきれたりずっと旅していたいとは思わない。
今は経験として一時的に旅を行なっている。通過点の一つであり、生涯することではない。こんな感覚があるのだろう。
別に悲観しているわけではなく、ただそうなんだなぁと静かに思ったというだけだ。
メキシコは見所が多く、全部なんて到底見ることができない。
重い腰もようやく上がりだしたのでまずはシティ周辺を開拓することにした。
こちらはかっこいい図書館。
エヴァとか90年代SF感のある建物だった。
そして一番人気のタコス屋さん。
ここのはタコスの皮に当たるトルティーヤのレベルが高い。
だいたいパサパサして安っぽい味がするのだが、ここのはもちもちしている。
他にもスパイシーな料理が大鍋で作られていた。
そして本場のプロレス観戦だ。
途中チケットをボラれかけたが、近くの人に助けてもらって二階の一番安い席から観戦した。
メキシコのプロレスはルチャ・リブレと呼ばれている。
日本のレスラーも武者修行しにきていた。新日本プロレスの試合は何度か生で観戦したこともあり、かなり楽しむことができた。
日本のプロレスよりも勧善懲悪感が強く、ヒール役と正義の味方とはっきり分けられている。
近くにいたおじさんは言葉が通じなかったけれど、一緒にノリノリで観戦できた。
こういう人とのふれあいが無性に嬉しい。
試合が終わるとすっかり夜。周囲を一応警戒しながら宿に帰る。
人通りも多く、女性も歩いていたのでそんなに危ない感じはしなかった。
すき家の牛丼を美味い美味いと言いながら頬張って、テオティワカン遺跡へと向かう。
道中で所属していた学生団体が駅広告を出していた。すごい...
日本でいうと山手線みたいな主要路線。成果をかなり出してるのだろうか。
テオティワカン遺跡はシティからバスで日帰りでいける。
日陰が全くない炎天下なので、行く人は水分と帽子を携帯することを強くお勧めする。
すでに遺跡やん...みたいな景色の中をしばらく進んでいくと月のピラミッドと太陽のピラミッドに到着できる。
これは太陽のピラミッドの上からの写真。
エジプトのピラミッドとは形が違う。四角錐を平行に切ったような形をしていて、こっちの方がかっこいいなと思わなくもない。
昔はこの景色一帯に人が暮らしていて、松明を掲げたりして儀式を行っていたのかなと想像するとワクワクする。
月のピラミッドの上では留学中の日本人学生に出会った。とても素敵な人だったので連絡先を交換してテオティワカン遺跡の観光は終了。
明日はプエブラという美食の街へと繰り出す。
【ペルー④】天空の城マチュピチュ
昨夜の大雨は奇跡的に降り止み、少し曇った状態で遺跡へと向かうことになった。
ネットの天気予報によるとこのところずっと悪天候。降られないだけ幸運だ。
犬がお出迎え。ネパールの山でもこんなことがあった。
犬はすっかり旅で苦手になっていたのだが、この子はいい子だった。野犬にもいいやつと悪いやつとがいる。
遺跡に向かって進む途中、1人が体調不良を訴え始める。
ペースを下げながらなんとか遺跡到着を目指す。
ラピュタっぽい階段を登っていく。
送迎のバスもあるが、片道千円くらい取られるので使わない。
遠くに山が見え始める。あれはおそらくマチュピチュ山で、あのあたりに遺跡があるはずだ。遠さに少し萎えたりしながらも歩みを進める。
開けた場所からスタート地点が見えた。こうしてみると随分登ってきたなぁと言うことがわかる。
川に侵食されることで山がつくられているんだろうなってこともわかるし、天然の要塞だなと思う。
そんなこんなでマチュピチュの入場口に到着。
クスコで購入したチケットとパスポートを提示して遺跡の中に入れる。
ここからはお待ちかねのマチュピチュ遺跡を紹介していこうと思う。
美しい景色っていうのもあるけれど、憧れの場所にいるんだっていう感動に胸が高鳴った。
入ってすぐに古めかしい石碑が現れる。
冒険して数世紀ぶりにこの遺跡を見つけた人はどれほど驚いたのだろうか。
こんな山奥にどうやって巨大な石を運んでいったのだろう。
ここはコンドルの間だったかな。
遺跡を一通り観光した後、マチュピチュ山にも登った。
マチュピチュ山付きのチケットを買ったのだが、時間が決まっていたのを見落としていた。入り口のおじさんに事情を話して懸命にお願いした仕方ないなぁと入れてくれた。
帰りのバスの時間もあり、残された時間はあまりない。
ハイペースで登っていくが、想像以上にきつい。
maps.meのいくつかあるview pointをみて、次のところまでは行こう!とハッパかけあいながらなんとか登る。
結構いい感じの眺めのところまで辿り着いた。
こんな風にマチュピチュを見下ろせる。
この写真だとよくわかるが、棚田のような部分がある。自給自足で栽培して養える人数を考えると限られた人だけがこの遺跡で暮らしていたことを伺い知ることができる。
神官とか聖職者が暮らしていたと他のグループのガイドが説明してるのを小耳に挟んだ。
誰しもが一度は訪れてみたいと思う遺跡マチュピチュは、想像通りの建物が並んでいる。それ自体は期待を上回るものではないかもしれないが、天然の要塞なんだなんと感じさせてくれる周囲の景色や立地、たどり着くまでのプロセスが期待を十分に満たしてくれた。
世界遺産は今やネットで手軽に映像としてみることができる。一番いい状態を切り取って放送するから、実際に見た光景とのGAPにげんなりすることも今後ますます増えてくると思う。
そんな時流の中でも感動するだけの理由がマチュピチュにはしっかりとあった。
...そんな南米のクライマックスであるマチュピチュを終えて、僕の旅への情熱は燃え尽きかけるのであった。
【ペルー③】古都クスコ、南米で一番惚れ込んだ街。
湖上生活に別れを告げ、次に向かうは古都クスコ。
日本で言うところの京都のような都市であり、かの有名なマチュピチュの玄関口となっている。(いうてクスコから半日はかかる。w)
クスコは南米の中で最も気に入った街だ。
街は石畳で作られており、適度に都会で落ち着きがあった。
街並みにスターバックスが溶け込んでいる。
景観保護も大切にしているのだろう。
旅行客も現地人も活発に往来があり、標高の高さゆえに空は澄み渡っている。
トタンの天井で囲まれた大きなマーケットが買い物の中心でなんでも売っている。
お土産のコーナもあれば、衣類、食料まで安価で手に入れることができる。
こういう施設を現地ではメルカドと呼ぶ。
一目惚れした真っ赤なポンチョがあり、値段交渉するも希望の金額にならず断念。
だがどうしても諦めきれず、マチュピチュから帰ってきた後に結局購入した。
しぼりたてのフレッシュジュース屋さんも軒を連ねており、お店のお姉さんやおばさんが熱心に客引きをしている。
一番近くのお姉さんのお店でミックスジュースを注文。
たった百円でこの量のジュースを二杯以上飲めた。ミキサーで作った分全てを売ってくれるのだ。
しばらくビタミン不足には悩まされないだろう。
これは三十円くらいのスープ。色は悪いが味は日本人好みだ。上に見切れている玉ねぎをカットしたものを乗せて一緒に食べるとなお美味しい。
ざらっとした舌触りでボリュームもあるので小腹が空いた時にはもってこいだ。
これまでの傾向で、安く美味しい屋台のご飯が食べれる国は好きになりやすいことがわかった。
ご飯を頼むときは店員さんとコミュニケーションをとるし、美味しいという感情は万国共通で伝わるからかもしれない。
揚げたてのチュロスも格別だ。この後たっぷりと砂糖をまぶしてもらえる上に、中にはキャラメルソースが入っている。相当カロリーは高いだろうか、旅中は痩せ細るのでむしろ必要。
ペルー人は肌が少し黒目で背が低く、黒髪なのが特徴。三つ編みの女性もよく見かけた。
標高の高い高地の民族なので、皮膚は日差しに強いのかもしれない。暑くとも直接日光を浴びるのは良くないから長袖が多く、スカートのような衣装、つばの広い帽子を身につけている。
クスコ市内の観光案内所をまわり、マチュピチュへ向かう方法を模索する。
様々な方法があるが、最も楽チンなのが電車を使うことだ。
ブルートレインという綺麗な青をした豪華列車がある。車内では食事も振舞われたり内装も綺麗なのだが、とてもじゃないが払えない運賃だ。
途中から乗る手もあるのだが、どっちにしろ高い。新幹線よりする...
最安値で行く方法はバス+徒歩だ。
バスで水力発電所まで行き、そこから線路に沿って10km以上歩くというルートだ。
もちろん貧乏バックパッカーの僕にはその選択肢しかない。
バスが来るのを待つ間にやってきた物売りのおばちゃんからニット帽を購入した。
バスは急勾配の山道を5,6時間走行する。バスといっても中型のバンで、乗り心地も良いものではない。奥の方の座席に割り当てられると暑いし酸素も薄い。
これが貴族ののる列車。恨めしそうに見ながら脇を歩く。貧乏人は時間と体力をかけるしかないのは世の常だ。
絶望的な距離の標識が目に入る。
まだ救いなのはそんなに勾配はなくずっと平坦な道のりだということだ。
他にも僕らのように歩いている人は大勢いた。
クスコから115kmも離れている。最初に書いた通り玄関口といってもだいぶ遠いのだ。マチュピチュまであと二キロのところまできたが、今日は遺跡ではなくマチュピチュ村という村で一泊して翌朝に遺跡へと向かう。
村が見えてきた。どことなく日本の温泉街と似ている。
温泉も確かあるはずだが、そこそこ良いお値段。
インカ帝国の偉い人の像が広場の中心に立てられている。
街中のゴミ箱がカエルのデザインでとても可愛い。
観光客向けの高いレストランがいくつもあったが、そこで食べる余裕はない。節約したといってもマチュピチュの入場料やバスの往復運賃などで二万円ほどかかっている。
村についた途端に雨が降り出す。雨の中歩かずに済んだのは幸いだが、明日綺麗に遺跡を見ることができるのだろうか?
何日間か滞在して何度も見に行くという人もいるが、我々は明日しかチャンスがない。遺跡を見て下山したらそのまま水力発電所まで歩いて戻りバスでクスコに帰るのだ。
相当の弾丸旅程で体力を使う。実際1人体調を壊し、明日地獄を見ることになる。
メルカドの大衆食堂で安くて量も多いご飯を食べながら明日の天気を祈る。
明日の朝はかなり早い。疲れですぐ寝れたが、意識の片隅に雷鳴や雨音が聞こえている。
あぁ、明日はもしかするとびしょ濡れになりながら山を登らなくちゃいけないのか。そんなことを思いながら眠りについた。
【ペルー②】地図に載らない浮遊島でエアビーしてみた。
こんにちは。みなさんはおうち時間をいかがお過ごしでしょうか?
今日は珍しく早起きができました。昼夜逆転しかけていたのですがなんとか戻せそうです。昨日はオンラインで大学の授業があり、一年数ヶ月振りの大学の講義でした。
哲学の授業を受けていて、ああなんか大学生っぽいなぁなんてことを五年目のくせにしみじみと感じたり...
この記事がみなさんの退屈しのぎに一役買ってくれたら嬉しいです。
では本編。
アレキパでしっかりと英気を養った僕たちは、チチカカ湖のある町プーノへと向かった。
今回ももちろんバス移動だ。
プーノの町はどことなくネパールっぽさを感じた。レンガ造りの家が多く、アレキパと比べると随分小さな町だ。
今回は4人旅のメリットを最大限活かして、エアビーに泊まることにした。
チチカカ湖には、そこで生えている植物を編んで編んで編みまくって作られた人工島があるのだ。
なんとそこに建てられた手作りの家がエアビーに登録されているのである。
彼らは湖上での生活を遥か昔から続けており、イッテQでイモトも確か取材に来ていたんじゃないだろうか?
こういう島々をウロス島という。
ウロス島を視察するツアーなんかもやっているのだが、それよりもいっそそのうちのどこかの島に泊まる方が安上がりなのでは?と考えたのだ。
プーノのバス停に着いてから、迎えがくるまで少し待った。
迎えのバンに乗って島へと向かう渡し舟のところまでいく。この送迎代金も取られたりしたので、ちょっと想定より高くついたがまあいいだろう。
渡し舟の運転席はこんな感じ。
まさかのトヨタハンドルである。見辛いがサイドバーはスズキだ。禁断のカスタマイズの船で目的地へと向かう。
途中でトタン造りの協会も見かけた。本当に湖上で生活が完結しているのだろう。
さあ彼らの生活圏が見えてきた。
手前には二つの船が写っている。これは島と同じ素材の草で編まれた船で、二年ほどで作り変えるそうだ。
時々船で物売りがやってくるので、ここで必要な食材等を購入する。
どうしても少し物価は高くなるので、なるべく腹持ちの良い大きなパンを買った。
そもそもあんまりレパートリーもないのだが。笑
部屋はこんな感じである。割としっかりしている。島の上に建物を乗せて、ベッドと簡単な水周りを用意、外が見えるようにガラス張りで、テラスがあったりする。二、三日なら問題なく快適に暮らせるんじゃないだろうか?
テラスからの景色はこんな感じ。
空の濃い青さが標高の高さを思わせる。
日差しが結構あったので日中はあったかいが、日が沈むと結構な寒さになる。
お気に入りのインカコーラを飲みながらボヘーっとチチカカ湖を眺めるのはなんとも贅沢な時間だった。
しばらくするとこの島の持ち主で、エアビー周りの経営もしているカルロスが船を漕ぎ出して簡単なツアーをしてくれた。
彼はおじさんに見えるが(失礼w)、なんと29才。
英語ができるしエアビーをするという発想もある。けど普段はのんびりしていて、ボヘーっとする才能を感じるほどゆったり。
船を停泊させる時だけはキリッとした目つきになり、ビタ停めを成功させる。
なぜ今の生活を続けるのか聞いたら、これは祖先から受け継いだもので誇りを持っている。快適だし、都会よりも静かだから好きとのこと。
この生活をいろんな人に知ってもらうためにエアビーなどもしている、と答えてくれた。
この生活は観光用に作ってるわけではなくれっきとしたインカ文明の名残で世界遺産なのだ。
やっぱり人の誇りという感情が好きだ。
ツアーの帰りにカルロスのお父さんが船で帰ってきた。
たくさんの草を積み込んでいる。バランスよく積むのが難しかったり、刈り取るのも硬くて重労働だが、歳を感じさせずにこなしている。
先ほどのんびりしていると言ったが、意外と島の生活もやることはあるのだ。
明け方から午後2時くらいまでかけて草を刈り取ってくる。そして島の土地に重ねてメンテナンスをし続けるのだ。
湖上では集落が存在しており、二千人は暮らしている。月に1.2回近隣住民とコミュニケーションをとるのだそう。
ちなみにシャワーはあるがお湯と呼べない温度で出てくる。
速攻で浴びて震えながら体を拭いた。風邪をひかないように要注意。
水シャワーはすっかり慣れていたけど、つらいものはつらい。w
部屋の暖房はしっかりしてるので、一瞬の我慢だ。
僕のカメラじゃ写せないけど、夜は夜でいいもんだ。
チェックアウトギリギリまで湖を眺めていた。
プーノですることは、チチカカ湖を眺めること。それを一番長くしっかり楽しむなら湖上に泊まったらいいんじゃないだろうか?
もし今後プーノに行く人がいれば、カルロス島をおすすめしたい。
次はマチュピチュのお膝元、古都クスコへと向かう。
もちろんバスでね。
【ペルー①】南米最後の国ペルーは楽園だった。
ご無沙汰しております。今日は2020年5月6日。僕が世界一周に出発した日からほぼ丸一年後です。時の流れの速さに驚いています。
コロナで二度目の国家試験延期が決まりました。
なんと次は仮の実施日すら示されません。終わってから日本に帰るまでの旅路を綴ろうと思っていましたが、目処も立たないし気分も沈むのでかなり久しぶりにブログを書くこととしました。
以前まで読んでくださっていたみなさん更新がなくすみませんでした。初めて読んだよというみなさんは過去の旅ブログもぜひ読んでみてくださいな。
多分あと10本ほどで完結する予定です、最後までどうぞお付き合いくださいませ。
ウユニ塩湖のツアーを終えて、アタカマに再び帰還。一時はいけないと思われたウユニ塩湖に行って帰ってきたのだなと実感が湧く。
ここからは北に進んでペルーに入国する。今のところペルーの治安は落ち着いているようだし、国境閉鎖なんてことはもうないだろう。
アタカマからまずはチリの北端アリカという街まで向かう。
さようならアタカマ。
夜行バスで早朝についた。コーヒーとサンドをバスターミナル内の売店で購入して少し体を温める。
南米は全てバス移動を貫いた。よく移動したものだ、あらためて考えると結構すごいと思う。
アリカでは特に観光はしなかった。ビーチがあるらしいが、ペルー国境へと向かうバスから見た感じは観光をしない選択は正解だったように思う。
バスターミナルでパラグアイで出会った同じ大学の同級生とその連れに再開。ここからは男四人旅となる。
日が昇ってちゃんと朝になった頃にチケット売り場は営業を開始。国境を越えてペルーへと入国をする。
この時国境にてちょっとしたトラブルが発生する。
僕と同級生の連れが国境を超えた後、残る二人が何やら職員と揉めていた。しばらくしてから出てきたので何があったのか尋ねたところ、前の二人とパスポートの色が違うぞと詰められたそう。
僕は5年間のパスポートを使っていたので紺色、あとの二人は10年間用の臙脂色だったからだそう。似たようなことがアゼルバイジャンでもあった。色は揃えたほうがいいかもしれませんよ外務省さん...
ともあれ無事にペルー入り。ペルーに入ったらすぐあるタクナという街から次の目的地へと移動する。
当初はチチカカ湖のあるプーノを目指したかったのだが、どうもプーノ行きのバス停は離れている様子。時間はまだ午前中だしさっさと移動して遅い時間になる前に宿で休みたかった。
アレキパという街が大きくてちょうど位置的にも良いということになりそこへ向かうこととなった。
チリペソの残りを両替してペルーの通貨を最低限確保した。ATM手数料が高い国が多くて南米のお金管理はかなり神経を使った。
バスチケットの価格は想像よりもグッと安かった。ペルーはどうも物価が安いらしい。ご飯も美味しいと聞いているので期待ができる。
もともと行く予定ではなかった街アレキパは、想像以上に都会だった。
首都リマに次いで第二の都市クラスだという。この日は確か日曜日。
街にはヨーロッパを思わせる綺麗な広場が存在した。
街はパレードをしていてお祭り騒ぎ。
少し疲れていた僕たちを賑やかに迎え入れてくれた。
何かのグランプリ優勝者だろうか?
どれだけありがたいのかはわからないけれど、グラマラスな女性とグラサンの男性と一緒に写真を撮るなどした。
新しい国に行けばご当地ビールを飲むのもすっかり習慣になっている。
マチュピチュを模したいかにもペルーなパッケージだ。値段も安いし味もいける。
ビールを片手に引き続きパレードの行進を見物する。
僕は少し出来上がっていて、上機嫌だ。
歩いてお腹も空いてきたところで、さあお待ちかねのペルー料理だ。
最近まで物価が高いところ続きで自炊のパスタばかりだったが、一食二、三百円で済むペルーなら毎日外食になるだろう。
レストランにてインカコーラと牛肉のプレートを注文した。
日本人の口に合う味付けで、コメもある。なんて幸せなんだろう。
きっとペルーなら住める。
明日にはプーノへと出発するため、綺麗な街並みを写真に収めていこうと思う。
本当に最初の頃に比べると写真を撮るのがマシになった。
富士山のような綺麗な山が川の向こうに見えている。ペルーもまたボリビア同様に標高の高い国だ。
流石に5000メートルを経験したこの体だとなんともないが、帰国した今だと息苦しく感じるのかもしれない。
次回は世界で最も標高の高い湖、チチカカ湖の地図に乗らない島での宿泊体験を綴る。
感覚も空いてしまい、文章も下手になっていたり鮮度が落ちているかもしれない。
でも、書き上げるつもりだ。記録としてやり遂げよう。