国志夢走

人々の視座を上げ、未来への責任を持った良い国に、若者の可能性を信じて機会を与える国に、Visionをもち自分の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。

「"〜だから好き"、は恋 "〜なのに好き"、は愛」を考える

はい、久しぶりにイタい記事を書きたくなったので書いてみます。

 

そもそも書こうと思ったきっかけは、先月

っていうツイートをしたら思いの外いいねが集まったという事があったからだ。なのにじゃないじゃんっていうのは、”新垣結衣じゃない、なのに好き”と句点をつければ解決するので問題はない。

 

下手すると今まで一番いいねついたツイートかもしれない。最近気付いた事なのだが、どうも僕は若干自嘲気味なツイートが伸びるみたいだ。そうはいってもこれが一番いいねが多いのはやっぱ嫌だ。笑

 

そんな事はさておき、本当に「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」は正しいのかについて思うことを述べさせてもらう。

 

 

この言葉は使われてはいないがこれは真理だとして理解されてきたはずだという証拠を見つけた。

 

それは先日結婚式のキャストをしていた時に気付いた。挙式の神父さんの誓いの言葉がまさしくそれなのだ。

 

「新婦〇〇さん。新郎の△△さんは〜な時があるかもしれません。それでも守り支えると誓いますか?」

 

これは明らかに順接ではなく逆説で愛を問うているゆらぎのない証拠だ。

 

結婚式での誓いの言葉はもう何十年も歴史がある。皆がその言葉が愛の誓いとしてふさわしいと考えているのだ。

 

 

逆説の好きは愛の証明になるという仮説は確からしいとして、順接の好きは恋である証明はどうするか。また恋<愛であるかの証明を考える。

 

 

恋は語源を辿ると、もともとという漢字である事がわかった。糸という漢字が使われていて運命の赤い糸を連想させるが、戀の漢字が先でそこから波及して運命の赤い糸なんて言葉ができたのかもしれない。

 

歴史を遡ってみると圧倒的に恋の方が愛よりも歴史が古い事がわかった。確かによく古文の授業で和歌に恋というワードが出てきた。愛は一度もなかったのである。このことから、恋はもともと日本にあった概念であり、愛が遅れてやってきた概念である事がわかる。

 

昔は愛の指す内容がなかったわけではないだろう。恋という言葉が今の意味よりも広い範囲をカバーしていてその中に愛を内包していた。そして愛という言葉が生まれ手から徐々に恋のカバー範囲が狭まっていったと予測できる。

 

 

雲行きが怪しくなってきた。恋の方が歴史も長いし、愛よりもいいものなのではないだろうか...

 

 

漢字の形を見ると、恋は下に心があり愛は比べると上に心がある。だから恋は下心なのだ。この説を提唱してみようと思ったが即座にブーメランが帰ってきた。

 

人をつけてみると「恋人」と「愛人」、明らかに下心なのは愛人なのだ。

しかも、恋人は交際している人だから好きで、愛人は妻がいるのに好きという逆説の証明までされてしまった...

 

 

恋<愛という認識はバイアスがかかっている。歌でも愛を歌うものが多いし、Loveという英単語が愛と翻訳されたから西欧への憧れの強かったかつての日本人がもてはやした可能性はある。

 

そもそもどういう基準で優劣をつけるのか?純粋なものはもしかしたら恋かもしれないが、燃え上がっていて情熱的なのは愛かもしれない。でもそれはケースバイケースでどっちが良いことなのかは変わってくるだろう。

 

 

 

ここまでの検討を重ねついに結論に至った。

「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」なのは本当。

ただ愛の方が恋よりも尊いというのはつくられたイメージで、恋>愛の場合の方がむしろ多いくらいだということ。

 

 

おふざけ半分で書き始めた記事だったが、思いの外考察しがいがあった。

最後まで読んでくださった読者のみなさま愛してます!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」を考える

はい、久しぶりにイタい記事を書きたくなったので書いてみます。

 

そもそも書こうと思ったきっかけは、先月

っていうツイートをしたら思いの外いいねが集まったという事があったからだ。なのにじゃないじゃんっていうのは、”新垣結衣じゃない、なのに好き”と句点をつければ解決するので問題はない。

 

下手すると今まで一番いいねついたツイートかもしれない。最近気付いた事なのだが、どうも僕は若干自嘲気味なツイートが伸びるみたいだ。そうはいってもこれが一番いいねが多いのはやっぱ嫌だ。笑

 

そんな事はさておき、本当に「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」は正しいのかについて思うことを述べさせてもらう。

 

 

この言葉は使われてはいないがこれは真理だとして理解されてきたはずだという証拠を見つけた。

 

それは先日結婚式のキャストをしていた時に気付いた。挙式の神父さんの誓いの言葉がまさしくそれなのだ。

 

「新婦〇〇さん。新郎の△△さんは〜な時があるかもしれません。それでも守り支えると誓いますか?」

 

これは明らかに順接ではなく逆説で愛を問うているゆらぎのない証拠だ。

 

結婚式での誓いの言葉はもう何十年も歴史がある。皆がその言葉が愛の誓いとしてふさわしいと考えているのだ。

 

 

逆説の好きは愛の証明になるという仮説は確からしいとして、順接の好きは恋である証明はどうするか。また恋<愛であるかの証明を考える。

 

 

恋は語源を辿ると、もともとという漢字である事がわかった。糸という漢字が使われていて運命の赤い糸を連想させるが、戀の漢字が先でそこから波及して運命の赤い糸なんて言葉ができたのかもしれない。

 

歴史を遡ってみると圧倒的に恋の方が愛よりも歴史が古い事がわかった。確かによく古文の授業で和歌に恋というワードが出てきた。愛は一度もなかったのである。このことから、恋はもともと日本にあった概念であり、愛が遅れてやってきた概念である事がわかる。

 

昔は愛の指す内容がなかったわけではないだろう。恋という言葉が今の意味よりも広い範囲をカバーしていてその中に愛を内包していた。そして愛という言葉が生まれ手から徐々に恋のカバー範囲が狭まっていったと予測できる。

 

 

雲行きが怪しくなってきた。恋の方が歴史も長いし、愛よりもいいものなのではないだろうか...

 

 

漢字の形を見ると、恋は下に心があり愛は比べると上に心がある。だから恋は下心なのだ。この説を提唱してみようと思ったが即座にブーメランが帰ってきた。

 

人をつけてみると「恋人」と「愛人」、明らかに下心なのは愛人なのだ。

しかも、恋人は交際している人だから好きで、愛人は妻がいるのに好きという逆説の証明までされてしまった...

 

 

恋<愛という認識はバイアスがかかっている。歌でも愛を歌うものが多いし、Loveという英単語が愛と翻訳されたから西欧への憧れの強かったかつての日本人がもてはやした可能性はある。

 

そもそもどういう基準で優劣をつけるのか?純粋なものはもしかしたら恋かもしれないが、燃え上がっていて情熱的なのは愛かもしれない。でもそれはケースバイケースでどっちが良いことなのかは変わってくるだろう。

 

 

 

ここまでの検討を重ねついに結論に至った。

「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」なのは本当。

ただ愛の方が恋よりも尊いというのはつくられたイメージで、恋>愛の場合の方がむしろ多いくらいだということ。

 

 

おふざけ半分で書き始めた記事だったが、思いの外考察しがいがあった。

最後まで読んでくださった読者のみなさま愛してます!笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ティール組織=正解」ではない

先日高野山のお寺で宿坊をするという一風変わったインターンに参加してきた。そこで扱ったトピックの一つにティール組織があった。そこで考えたことを元に、最近話題のティール組織について書くことにする。

 

目次 

ティール組織とは

・よくある誤解

・仏教視点×ティール組織 

ティール組織が機能する条件

・日本社会への応用と障壁

・これからの組織と個人

 

 

ティール組織とは

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ティール組織とは約四年前に出版された『Reinventing Organizations』で登場した組織モデルのことである。フレデリック・ラルー氏が提唱した。

著書では、組織モデルの発展段階とティール組織を実際に構築している組織が成果を出していると言う事例の紹介をしている。

 

では組織モデルはどのように発展してきて、その発展段階の中では最終系に当たるティール組織とはどのような特徴を持った組織なのかを解説していく。

 

 

 

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下から順に組織の発展が発展してきたと述べられている。ちなみにTealも含め全て色の名前である。自身が所属している組織はどの組織モデルだろうか?と想像しながら読んでみてほしい。

 

 

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 レッド組織はサル山をイメージしてもらえるとわかりやすいだろう。

一番強いボスザルが山の一番上で踏ん反り返っている。完全な力による支配が行われている組織のことである。強いリーダーに依存する形で付き従う構図が取られる。

自己中心的で、短期的な損得で動きがちになる。

 

 

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暴力といった力ではなく、権力や階級制度によって統治されている組織である。

長期戦略を立てることができるようになる。自己ではなく集団の範囲までを関心領域に広げることができる。

多くの軍隊や公的機関の組織構造がこれで、基準やルールの遵守が求められる。柔軟性に乏しい。

 

 

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組織の目的は社会的な成功に拡大している。目標達成のためにより効率的に動こうという組織体制であり、柔軟性を持って目標達成に迎える一方で、人材も歯車の1つとして捉えるため人間味が薄い。出世レースなど競争を通した実力主義な組織。

 

急成長する企業で多い組織形態であり、事業の成長のうらに人間関係の軽視がみられる構造になっている。

 

 

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組織風土や理念といった独自の文化を形成し始めるのがグリーン組織である。目標を達成するといった何をなすかも大事だが、どうありたいかといったあり方にまで関心は及ぶ。組織はより家族的な意味合いを持ってきて、オレンジ組織に比べて人間味のある集団へと進化していく。

 

達成力やスピード感に欠ける点もあり、どの場合においてもオレンジ組織よりも良いというわけでは無い。

 

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生命体の組織とも呼ばれている。ティール組織においては役職といった上下関係は存在せず、対等な関係性が築かれている。

合意形成のプロセスもなく、各々が自分の意思に基づいて課題を解決していく。

行動規範や文化といったある種の拘束がなく、自由度がかなり高い組織になる。もはや組織とは言えないかもしれない。

その自由が高い分、個々人が責任を持った行動ができる必要がある。

 

以上で簡単ではあるがそれぞれの組織についての説明を終える。

 

よくある誤解

 

ティール組織が流行るにつれて誤解も増えているように思う。ここではされがちな誤解を解いていき、正しい理解を促していく。

 

まず、アメーバ組織とは全然別物だということ。ティールは生命体のような組織であるという表現から、アメーバって生命体だよな。あ、アメーバ組織、アメーバ経営ってティールと関係あるのか。という勘違いのされ方をしているようだ。

 

アメーバ組織とは、階層化された組織構造を確定化せず、状況に応じて人事異動やタスクフォースを敷くなどして対応する組織のことである。なので基本的な構造がオレンジであり、構造や人の入れ替えの柔軟性を高めた体制である。誤解のないように理解しておこう。

 

 

次に、ティール組織がどの組織においても理想の組織像であるという誤解だ。

 

ティール組織はもはや組織ではなく共同体やコミュニティに近い。

だから、全ての組織がティールを目指すことは正しくないし、むしろ社会に混乱をもたらす可能性もあるのだ。

具体例を挙げるとインフラなどが、もっともティール化すべきで無いと言える。公的期間がアンバーな体制を取られがちなのは、それだけ公正かつ確実なサービスの提供が行われなくてはならないからである。一個人に自由と責任を背負わせるにはリスクが高すぎるのだ。

ビジネスセクターの場合でも、テスラ・モーターズティールとは真逆な組織体制で成果を残している。マイクロマネジメントという言葉がある。これは細かいアクションまでリーダーが指示したり管理していくマネジメントのことだ。イーロンマスクの場合はさらに細かいナノマネジメントをしているらしく、ここには裁量権のフラット差などない。圧倒的なリーダーの存在を存分に活かしている組織と言えるだろう。

 

組織がなしたいことを実現するために最適なのかということが大事なのだ。

 

 

 

仏教視点×ティール組織

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組織の発展段階の考え方は真理で、長い歴史を持つ仏教とも通ずる考え方があるという小話をさせていただきたい。これはgCストーリー株式会社の西坂社長にお聞きした話である。

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上の図は、右が組織の発展段階で左が仏教における六道の段階を書いている。

ここで少し六道輪廻について説明する。仏教の目的は仏になること(成仏すること)であり、そのためには我を捨てる必要がある。仏道の修行は全て我を捨てるという目標のために行われているのだ。人は六道をずっとぐるぐる回っていて仏になることでこのスパイラルから脱却(解脱)できるという世界観である。

天~修羅までが三善道と呼ばれ、畜生〜地獄が三悪道と呼ばれる。

天道は苦しみから解放されていて、修羅道は戦いに明け暮れる。畜生は弱肉強食で、餓鬼は欲望の塊、地獄はもうドロドロ。これくらいの簡単な認識にここではとどめる。

 

自己中心的だったレッド組織から、徐々に集団・社会へと関心が広がっていくところや、力による支配から徐々に解放されて自由を手にしていく段階とどこか似ていないだろうか?

 

太古から人々は自然と幸せに生きるためのすべを探し求めていて、同じ答えに行き着いてきたのではないかと思うと少し神秘的に感じる。

 

 

ティール組織が機能する条件

ここまでティール組織について述べてきたが、実際に体制を敷いて機能しなければなんの意味もないだろう。なので次はどのようにすれば機能するのかについて書いていく。

 

最初に強みを確認する。

特徴として、階級や上下関係がなくフラットであるということ、意思決定をその場で下して課題解決に取り組めることがあげられる。

これらの特徴により、スピーディに課題を解決できることや、画期的なアイデアがフラットなディスカッションによって生まれるといった強みが想定できるだろう。

 

ここで条件がいくつか見えてくる。

  • 現場(フロントメンバー)が優秀であること
  • 現場で対峙するであろう課題の難易度が高くないこと
  • 意思決定プロセスが複雑でないこと
  • ガバナンスの縛りがきつくないこと

これらの条件を満たすことが、ティール組織を機能させる上で必要だと考える。

 

経営層や幹部は、例外ももちろんあるが優秀だからこそ登り詰めている。その人たちの力を使わずして課題を解決できると見込めるからティール組織の態勢をとれるのだ。フロントに優秀な人材がいなければ現場で即座に解決することは不可能だし、現場が優秀でも取り組む課題が難しすぎる場合はやはり上に課題を上げなくては解決できない。

 

ティール組織で業績を上げている企業例を見てみると、オランダの歯医者の例がある。歯医者の仕事を詳しく知っているわけではないが、現場で対峙する課題がとても難解だとは思わないだろう。このように、仕事の性質上ティール組織にしやすい、しにくいというものはどうしてもある。

 

意思決定プロセスが複雑な場合、結局現場で解決可能でも確認を上にしなくてはならないのでスピードは殺されてしまう。官公庁など、責任が重たく慎重さを求められる職種ではやはり難しい。個人情報の保護などの観点から現場にあまり情報を与えることができないといった理由もティール組織にできない要因につながる。情報格差こそが組織を階層化する要因だからだ。道がわからない時、道筋を知っている人についていくほかないだろう。その時自然と道筋を知っている人がリーダーとなり仕切るという構図が出来上がる。それと同じことだ。

 

 

 

日本社会への応用と障壁

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では、日本社会はティール組織に向いているのだろうか?

 

向いていると思う点は、日本は現場力が高いということだ。教育制度がしっかりしているため、識字率はもちろん、小中学校の学力は世界でもトップクラスである。こうした点から高い現場力を有する日本社会はティール組織に向いていると言えるだろう。

 

一方で、意思決定までのプロセスが長くて現場の一存で決められないことは不向きな点と言える。年功序列な組織風土は階層化を引き起こし、現場に意思決定権をなかなか与えることはない。

 

ティール組織は共同体に近いという話をした。自由が多い分、いくつものコミュニティに属していくことが可能になると僕は想像する。

 

副業が最近認められつつあるし、もともと東洋思想は多神教で包含の意識がある。いろんなコミュニティに属していくような未来も実現していくのではないだろうか。

 

世間の目を気にしないと生きていきづらい日本社会において、世論がどちらに傾くかによってティール化の流れが進むか否かは決まりそうだ。

 

 

これからの組織と個人

 

これからは、やりたいことが見つからないと辛い時代が訪れる。しなくてはならないことはどんどんテクノロジーの進歩で機械が代替してくれるようになるからだ。

もちろんその恩恵にあやかり、何もせずにのうのうと生きるという選択肢もあるがそれだけでは満足できないのではないだろうか。

 

個人へのパワーシフトによって、徐々に個人>組織の力関係へと変わっていく。

(以下のブログを参照のこと)

jackshima.hatenablog.com

 

そんな未来において、個人の自己実現をどれだけ組織に所属していてもできるかどうかが組織が生き残るための絶対条件となるだろう。むしろ所属するからこそ自己実現ができるんだと言えなくてはならない。

 

自己実現につながる働き方がしたいという人がマジョリティになってきた時に、自然と組織は個人に自由を認める状況に追い込まれていくと僕は思う。

 

 

組織の形態は目的を達成するための方法であり、自然と個人の価値観やニーズが反映される。営業を鍛えたい、予備校で成績をあげたいという人にとってはあえてレッドみたいな強制力の求められる組織の方が需要が高いかもしれない。

だから全ての組織がティールになる未来は訪れない。

 

 

 

ティール組織=正解ではない。

盲目的に社会で良いと言われるものを取り入れるのではなく、今の自分に、組織に必要なことは何かを考えて組織構造も選択しよう。

 

 

人生初カジノ、そこは社会の縮図だった。

9月中旬、僕は友人と韓国は釜山に3泊4日で旅行に行っていた。飛行機往復¥15,000にゲストハウスの宿代¥5,000というリーズナブルな旅だった。

 

その旅行中にセブンラックカジノというカジノに人生初で行った。そこで感じたことを今回は書こうと思う。

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これがエントランスだ。この先は写真撮影禁止なので写真を撮ることはできなかった...頭の中でイメージしながら読み進めていってほしい。

 

入るとスーツ姿の男性が何人もいて受付をしていた。日本人は少なく、西欧人や中国人が多くいた。人の流れについて進むとどうやら会員のカードを作るみたいだ。実際に発行してもらった。かっこいい...?

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発行にはお金がかからない。今後滅多に使うことはないけど、話のネタになるので未だに財布に入っている。

 

入ってから右も左も分からない感じ

入ってみると、思ったよりも派手じゃなかった。華やかさがあり、パチンコ屋みたいにビカビカ下品な光り方をしているわけではなかった。チップを買うものだと思い込んでいて、よくわからないなりにチップ発行のカウンターを探していたが、どうやらテーブルゲームに参加する時しか使わないそう。

 

とりあえず近くにあったスロットをしてみることに。

さっきのカードを台の上部の挿入口に差し込み、10,000ドン紙幣を投入(日本円で約1,000円。1/10と覚えると楽)。よくルールがわからないなりにぽちぽちしてたら、なんか30,000ドンに増えてゲーム終了。ものの15minで2,0000ドンも増えるなんて最高やんと上機嫌になった。ゲームを終えると、現金ではなく金額とバーコードが印字された紙が出てきた。小切手のようなもので、そのバーコードを出入り口近くの機会にスキャンして換金するシステムだった。その紙をスロットにそのまま紙幣の代わりに投入して遊ぶこともできる。

 

幸運は最初だけのようで、結局30,000ドンくらいなくなってカジノを後にしたが、三時間くらい遊べたのでまあまあ満足している。

 

スロットだけで3時間つぶしていたのではなくて、ディーラーとプレイヤーが勝負をするテーブルゲームを見ていた。特にブラックジャックの賭け事を眺めていた。かなりギャラリーがいて、ギャラリーをする分にはお金をかけずに楽しめるのですごいいい。ちなみにカジノの中にはドリンクバーがあって、ただで飲み物も飲めるしいい空間だ。

 

ここではチップを使って賭け事をするのだが、テーブルによって最低レートが違う。最初に見ていたのは1ゲーム1,000円のレートだった。これでも十分面白い。ディーラーの慣れた手つきで配られるトランプ、勝負をかけてレイズしてごっそり取られて頭を抱えるプレイヤー。とてもエキサイティングだった。

 

そのあと、金持ち用高レートを見たのだがここは凄まじかった。どこか狂ってる、リスクを楽しんでるとしか思えなかったのだ。日本人のおじいさんが大声を出しながらゲームをしていたのを今でも鮮明に覚えている。ブラックジャックのたった1ゲームで50万円が動いていたのだ。

 

「おりゃ、25万円じゃ!こいっ!」

「おっしゃ50万円増えた!」

「うわ30万円負けた!」

 

こんな会話が10分以内になされる。なんともスケールが違う...

でもよく見ると、結構負けていないのだ。

 

僕はこの時、カジノは社会の縮図なのかもしれない。そう思った。

五人プレイヤーがいたのだが、そのおじさん以外は1,2万円を毎回かけている状態。正直一人があんだけいっぱいかけていると、ディーラーはその人に勝ちさえすればあんまり損失は出ない。僕たちはちまちまと小銭でスロットをするわけだが、かける額が小さい分ごっそり増えることはないしその確率をひく前にお金という弾が切れる。

 

一方でこのおじいさんは巨万の富を持っているので、大勝ちをいつかは引き当てれてしまうのだ。元手がなきゃ勝負に出れない、玉を数打たなきゃ無理。そんなことを強く感じさせられた。

 

実際に社会を大きく動かしているのはごくわずかな人間で、大多数の人間はその土俵に上がることなく、ただそれを眺めて生きるのだ。眺めていることに満足して、与えられたコンテンツを楽しんで死んでいく。僕たちも大富豪が遊んでいるテーブルゲームをただ指をくわえて見ているだけだ。今回の場合はそこに参加することが善だとは言えないかもしれないが、構図は似ているだろう。

 

なぜ金持ちはカジノで遊ぶのか?

おじいさんを見ていて、別に儲かって本当に嬉しいとか損失が出て悔しいってわけではなくてそのスリルというものを買っているのと、その様を見て湧く周囲の人間の反応を買っているのだと気づいた。

 

そういう形でしか幸せを満たすことができないのは、どこか不幸せな感じがした。

 

ただ僕が一番強く思ってたのは、その積み上げてるチップを一枚でいいからくれってこと笑。だって一枚で一万円だよ?お釣り感覚でマジで欲しかった...

 

カジノでお金が減って出てきたことにではなく、そのおじいさんの様を見て自分たちはいかにちっぽけな存在なのだろうか...という悔しさや虚しさを感じて帰路に着いた。

 

こんな世界があることを知れたのはすごくいい社会勉強になったし、その先に見えないVIPルームがあったのでもっとすごい賭け事が繰り広げられているのかもしれないと思うと、まだまだ社会は知らない人が知らないうちに動かして決めているのだろうなと思った。

 

いつか一回だけ、テーブルゲームで豪快に遊んでみたいものだ。

 

実際の社会ではより良い方向へと動かす人になれるように頑張っていこう。

 

 

最後に政治の話題にも言及してみる。

 

カジノにはいろんな国の人がいたので、優秀な観光資源になるのかもしれない。日本は今カジノ法案がどうとかで揉めているが、観光客誘致という観点からはかなりいいんじゃないだろうか。

 

 

 

ギャンブル依存のリスクはよくあげられるが、日本にはすでに大きなパチンコという市場が存在する。実は、世界のカジノ市場は18兆円であるのに対して日本のパチンコ市場は19兆円もあるのだ。一国のパチンコという市場が世界のカジノ市場を超えているのである。この実態を考えてみると、カジノが入ったところで大差ないだろうと思うし、むしろそれだけ依存者がいるパチンコから人がカジノに流れていくのは悪いことではないのではなかろうかとも思う。さっき書いたように、別にお金をかけずに楽しむこともできるのでまだパチンコよりもいいんじゃないだろうか?

 

もしかしたらこれだけでかい市場があるから、パチンコ業界から政府に圧力がかかってたりするのかも...そんな妄想もしてみた。

 

 

 

最後にカジノはどこが運営すべきか、収入はどう使うべきかということについても考えてみた。

 

巨額のカネをかけて遊べるのはすでに財をなしている一部の富裕層だけであることを考えると、所得の再分配が起こるのでそんなに悪くないのかもしれない。政府運営のカジノにするといい感じに政府の歳入も増えるしより良いと思うので公営がいいんじゃないかなって浅慮だけど思ったりもする。

 

 

以上、カジノは社会の縮図だというお話でした。

 

 

成長とは、「視座が上がること」である

突然だが、僕は頑張っている人に安全地帯から石を投げる日本の文化が嫌いだ。

 

この日本という国はリーダーが損をしやすい国だと思う。

newspicks.com

上記の動画でも落合陽一が言っていたが、人よりも何十倍も努力した人が得るお金は二倍でないと認めないとか、苦労の伴わない成功は認めないみたいな風潮が根強い。この動画では未来の世代に向けて日本財政の問題を解決していかなくちゃいけないという警鐘を鳴らしている。また次世代を担っていく若者に対する覚悟も求められていて、自分自身に訴えかけられている感覚を強く覚えた。ぜひ見てほしいと思うので引用した。

 

 

 

 

『(日本人)』という書籍においても、日本人は人一倍権力を嫌う民族であるということが主張されている。(詳しくは以下のブログに書いているので参照してほしい)

jackshima.hatenablog.com

 

ここまでの導入で僕が社会に対して覚えている違和感は伝わったと思う。頑張り損な社会はよろしくないという話だ。人一倍みんなのことを考えて、頭を悩ませ責任も背負いながら頑張っているリーダーが、浅慮な大衆に石を投げられ傷つけられるのは理不尽だと思っている。

 

 

タイトルにもある通り、僕は成長の定義を「視座が上がること」としている。

ここからはなぜ僕がそう考えているのかと、その成長を全人類が遂げることで理想の社会は実現するはずだという主張をする。

 

 

成長とはなんだろう?

言葉の定義を探る際、僕はよく語源に立ち戻って考えてみることをする。「長所に成る」と書いて成長なので、たまに聞くことはあるが短所の改善とは成長ではないと昔の人は考えていたのかもしれない。長所になることだけが成長なのかも知れない。

 

世間一般で言われる成長とは、できないことができるようになるといったスキルの向上がイメージされるだろう。就活などで、「この会社に入れば成長できますよ。」なんて会話がよくされると思う。この場合における成長とは、社会の大多数が潰しがきくと思われる保証や保険になるようなものの向上を指していると思う。かつては資格の習得だったかもしれないし、今なら「プログラミングができますよ」とか「事業の作り方がわかりますよ」とか、「マーケティングを学べる」だとかなのかもしれない。

 

あとは数字の上昇も想起される。経済成長や業績の向上などは数字の上昇という意味の成長だ。

 

このようなスキルやナレッジの習得も間違いなく成長の1つだが、マインドの成長というものもあると思う。具体例をあげると、許容範囲が広がる、挑戦できるようになるなど。僕はこのようなマインドの成長こそが真の成長だと思っている。

 

...そんなことはわかっている、当然じゃないかという声が聞こえてきそうだ。

 

 

でも、現実を見てみるとマインドの成長を考え切ることはできていないように思う。

 

例を出そう。成長に密接な関わりを持つものとして教育がある。教育って単に勉強をできるようにすることではないような気がするだろう。でも、実際に教育の成長は点数に落ち着くものが出てきそうになるよね。家庭教師のアルバイトをしていてもそう感じる場面は多々ある。

 

 

視座が上がることが成長だと述べたが、視座が上がるとはどういうことだろう?

視座

物事を見る姿勢や立場。ー「人道主義的な視座で発言する。」

視座(シザ)とは - コトバンク

この立場をなるべく引き上げて考えれるようになることが視座が上がることである。いろんな人の立場になって考えてみることができるということだ。

 

先日高野山にて宿坊に参加したのだが、そこで教えてもらった言葉に言い換えると認識の範囲を拡大するということも近しいだろう。

 

 

この社会は視座が上がっていないが故に数多くの問題が起こっている。日本に焦点を当ててみれば、多額な借金を背負っている債務大国であるにもかかわらず未来の世代のことを考えずに先延ばしにする意思決定が存在している。バイト先ではアルバイトと社員が対立していたり、大学では教授も生徒も互いに理解し合わない。

 

視座の足りない最たる例は環境問題だ。環境問題は目先の経済発展にとらわれて地球の持続可能性を超えたエネルギーの使用をすることで生じていると言える。

 

 

僕たちは誰しも知らず知らずのうちに低い視座で物事を考え、誰かを苦しめて生きている。これを完全になくすことは不可能だ。

 

でも、視座の違いにより他者を知らず知らずのうちに苦しめてしまっていることがあるという前提を持って生きることだけでも、社会はもっとよくなるんじゃないかと思う。

 

 

人類がロケットで宇宙空間へと飛び立つことができるようになった時、人類は地球を捨て去ってしまうのではないか?という論が叫ばれたそうだ。科学的ではなく、社会学的な側面で注目された。そして実際に人類が地球から出て宇宙空間へ行けるようになった時、その人はどう思ったか。

 

地球を初めて客観視した結果として、地球自体を愛おしい存在だと感じてむしろ環境問題などに強い関心を持つようになったそうだ。

 

これは物理的に視座をあげることで生じた事象だが、地球市民的な視座に立つことで思想が変わり、より良い社会を築いていけるという根拠の1つになると言えるはずだ。

 

 

 

僕がみんなが視座の高い社会がいいと思っているという話をした時に、こんなことを言われた。

 

「大衆とは愚かな存在で 、視座が低いものだ。だから、そうやって自己中に考える大衆がいっぱいいることを前提にした上で、そういう人がいてもうまくまわるように内包して仕組みを作ることが大事だ。」

 

 

 確かに言っていることはわかるし、自分が驕りたかぶっているんじゃないか、己のエゴなんじゃないかって思い、間違った思想なのかもしれないと思った。

 

 

でも、それは人類への諦めだ

 

 

人類は野生動物ではない。仏教でも六道輪廻で、人道はまだ成仏できていない道の1つとして描かれるが、畜生道よりも高い位置付けにある。自分の本能に流され切らずに生きていける可能性を秘めていることを暗示している。だから、きっとできるはず。

 

 

みんなの視座が上がれば、自分の理想の社会を皆が描くようになり、自分が何のために生きていくのかも考える。すべての人が自分の仕事や人生に誇りを持って生きる社会はこうして訪れるはずだ。すべての人々の視座をあげる大衆変革を起こしたい。

 

 

 

 

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幸せとは、「傾き」である。

「幸せとはなんですか?」

こう問われた時、どう答えるだろうか?

 

 

お金持ちになること?美味しいものを食べること?新垣結衣と結婚すること?

まあ多分どれも確かに幸せなんだろうけど、どれもピンとこない。

 

 

 

 

 

僕がたどり着いた答えは、「傾き」だ。

 

 

どういうことか察しのいい人はわかっているかもしれないが、具体例を交えて説明していこうと思う。

 

例1

外は32度の真夏日、汗だくで駅前のショッピングモールに入ってみるとクーラーが効いていてすごくひんやりして幸せだった。

 

例2

今日は行列のできるラーメン屋に行くことにした。50min並んで、やっとの思いでありつけたラーメンは少しぬるく、店主の態度も横柄だった。二度と来るものか。

 

例3

昨日は友人が面白かったから見てみなよとオススメされた映画を見に行った。友人のオススメ通り、結構面白くていい時間を過ごせた。

 

ここまで3つの例を出してみた。1つ目は暑い空間から一転して涼しい空間へと入ったことで感じた喜び。2つ目は高い期待値をもってたのに、期待はずれだったことで感じた失望。3つ目は期待通りの結果を得られた満足。

 

ここまで書くともうオチはわかったと思うが、1つ目のような感覚こそが幸せであるという話だ。わかりやすく温度にしたが、3の例が面白くないだろうなと思ってみた映画がかなり面白かった時をイメージしてもらうとわかるだろう。

前の状態から良い方向への変化があること、その傾きがあることこそが幸せなのだ。

 

 

幸せというと、どこかたどり着くものをイメージしがちである。

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図にするとこんな感じ。

だから人は〇〇大学に入ることを目的化してしまったり、何かものを手に入れること自体が幸せだと勘違いしてしまうのである。

 

確かに大学に受かった瞬間は幸せかもしれないし、ものを所有した瞬間は幸せかもしれないが、その幸せは一時的でありずっと続くものではないのだ。

 

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この図のように、常に傾きがあることこそが幸せなのである。

人間は変化を嫌う生き物であり、現状維持をしていたいと思ってしまう。

確かに今に満足しようとすればできるかもしれない。その3の例のように、期待にそのまま答えるものを享受し続けることでも満足することはできる。ただ、それを超える幸せには到達できないのだ。

 

目標を達成する幸せもあるが、その目標を達成しようとして日々傾きを生み出していること自体が幸せなのである。

 

 

僕は生まれつき、悩みがちな人間だ。楽観的に考えることが苦手で、いつもいろんなことについて頭を悩ませている。少し言葉は悪いが、もっとバカだったらこんなに毎日悩んで苦しい思いをせずに幸せに過ごせるだろうにな...なんてことをよく思っていた。

 

 

 

実は同じようなことを考えたことがある人もいるんじゃないだろうか。

でも今では悩んでいること、悩めることは幸せだと思えるようになってきた。

 

 

だから悩みがちな人は一生満たされない、たどり着かないと悲観するのではなく、常に傾いていられるなんて幸せだなぁと捉え直してほしい。 

 

 

だって理想へと向かって進んで行こうとしている証拠なのだから。

無駄に悲しくなることはない。むしろ楽しみながら進んで行こう。

 

 

人間は一生勉強だという言葉を聞いたことがある。生涯学習という言葉も昨今よく耳にする。小学生の頃、僕は勉強が嫌いだったから早く勉強しなくてもよくなりたいなんて思っていた。だから生涯学習な世界なんて最悪じゃないか...なんて考えていた。

 

 

でも傾きこそが幸せなのだとしたら、大学をでて就職し、仕事もリタイアして老年期に入ったとしても、学んでいこうとする姿勢はすごく大事なことがわかるだろう。

退職して何もしなくなることで不幸せになるのだ。生涯勉強し続けられることが幸せなんだと思う。

 

 

僕が最近活動をしていて幸せだなと思うことを考えてみた。

 

ある役割を担っていてその役割を成し遂げ切って、その任から解放される時にすごく幸せを感じることがわかった。

 

そんなに解放されたいなら最初からしなくてはいいじゃないか!という声があるかもしれないがそれは大きく違うのだ。解放というこの傾きこそが幸せを増幅させているのだ。

 

 

だから、忙しい...って言いながらも頑張っている人に対して、「それじゃあしなきゃいいじゃんか、忙しいアピールすんなよ。」って批難をするのではなく、「こうやって負荷をかけながら頑張った後の達成感ってすごく幸せだよね、わかるわ」という言葉をかけてあげられると優しいなあなんて思う。

 

 

僕の好きな漫画の宇宙兄弟でも同様の主張がなされていた。

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これは宇宙兄弟の登場人物であるピコが、自分が設計した宇宙飛行士の帰還船のパラシュートが開き、無事に帰還できるかどうかの場面に立ち会いに、管制室へと向かう日の朝のセリフである。

 

 

ネクタイをしたくないのならば(仕事をしたくないのならば)、最初からしなきゃいいじゃないか。って話ではないのだ。

仕事を成し遂げ切って、その緊張から解放されるから幸せだし達成感を得られるのだ。

 

 

 

責任とは重く苦しい辛いものではあるが、それと同時に僕たちに幸せの傾きを授けてくれるありがたいものなのである。

生涯学習して僕は生きていたいし、そんな世の中こそが幸せだと信じている。

 

 

 

 

 

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組織から個人へのパワーシフト、高まるHR人材の価値

個人へのパワーシフトという言葉を聞いたことがあるだろうか?これからの時代を表すメガトレンドの1つである。

 

簡単に解説すると、今までは国や組織に権力が集中していたが、徐々に個人にも権力が移っていくということだ。

 

例えば昔はテレビなどのマスメディアによってのみ情報を発信していたが、今ではインターネットやSNSの台頭により一個人が発信できるようになっている。他にもまだ浸透仕切ってはいないがトークンの発行など個人で貨幣の発行に近いこともできるようになってきている。下の記事にも書いているので一度読んでみてほしい。

jackshima.hatenablog.com

 

このように個人へと力が集中してきている流れのことを個人へのパワーシフトと呼んでいる。これに伴って、世界的に都市への人口集中が加速し、都市に流入した個人の孤立化が発生していたりする。

 

 

もともとこれまでの日本では組織の論理が強く、協調的で組織の和を重視しなくてはならないという時代が長らくあった。終身雇用だったり年功上列だったりとずっと1つの組織で長く働くことが当たり前だったし、多少言いなりになったとしても我慢するのが普通だったわけだ。

従業員という言葉は付き従って作業をする構成員、なんとも組織に隷属的な単語ではないだろうか?(員という言葉についての解釈を少し書いている記事を参考程度に載せておく。)

jackshima.hatenablog.com

 

 

しかし、先ほど紹介した通り個人が情報収集も発信もできるような現代になり組織に属さずとも個人で稼ぐことができるようになった人がちらほら出てきている。今後もそんな人は増えてくるだろう。そうなると組織が個人を押さえつけていた関係性から組織と個人は対等、むしろ個人の方が選べる側になるという変化が起こってくる。引く手数多みたいな状態だ。

 

 

コミュニティという言葉を最近よく耳にする。

コミュニティ
①人々が共同体意識を持って共同生活を営む一定の地域、およびその人々の集団。地域社会。共同体。
 転じて、インターネット上で、共通の関心をもちメッセージのやりとりを行う人々の集まり。
 アメリカの社会学マッキーバー(R. M. MacIver)が定式化した社会類型の一。血縁・地縁など自然的結合により共同生活を営む社会集団

大辞林ではすでに②のネット上での集まりという意味も紹介されている。

簡単にコミュニティを形成することができるようになっているから、組織の数自体はどんどん増えてきているのではないかと予想している。ただ1つ1つの組織の構成人数は少なくなってきていると思う。労働市場が大きく変容していて、組織は大きくなりにくい時代を迎えているのだ。

 

 

こんな中でも既存の組織は変わらず優秀な人間を欲している。PJチームは大きくなりにくく、社会を揺るがすような大きなことを成し遂げていくには難しさがどんどん上がってくる状態にあると思う。そのため組織づくりがちゃんとできる組織しか、大きなことをなせるだけの人を集めることができない。

現在エンジニアやAIを扱える人間はIT企業において必要不可欠となっているが、それと同様に組織づくりができるようなHR人材の価値も高まっていくことは明らかだ。

個人の選択肢がこれだけ多様になっている中で、良い人材を大量に抱え続けて活動をしていける組織はごくわずかになっていく。それを叶えられるHR人材の需要が高まることは理解できるはずだし、組織は事業の成長は当然考えるが、組織状態の改善に対する重要性も考えざるをえない時代に突入していく。

 

 

優秀な人の数年間のコミットを約束してもらい、その後は個人の別の目的のために巣立っていくという新陳代謝のサイクルが非常に早い組織も増えてくるだろう。個人の自己実現がなせるし、組織の目的も達成できる。そんな組織づくりが求められる。

コミュニティの価値も1つの例だ。会社付き合いの飲み会はなんとなく嫌だ、そんな風潮がある中でもベンチャーは半ば家族のような付き合い方に回帰しているところは少なくない。またそんなところに惹かれる若者も少なくない。オフィスにカフェスペースを設けてたり、社員旅行で運動会したりなんてこともあったりする。

 

 

組織づくりは知識だけではできない。HR Techの領域が発達してきて、今までは定性的にしか把握できなかった人のモチベや情動を定量化して表せるようになってきた。どうすれば良い組織になるのかという解決策の提示は比較的しやすくなってきている。

 

 

ただ、その解決策を実行仕切ることが何よりも難しくテクノロジーではできないところだ。どうやって伝えていけば組織風土は浸透するのか?思いをぶつけて、組織と個人の目的を揃えるにはどうすればいいのか?こういった実行フェーズを組織と二人三脚になって実行できるHR人材がいないと、組織はいくらデータを解析したところで変わらない。

 

 

 

強い個人として生きていくためにも、所属する組織がなしたい大志をなせるようになるためにも、組織づくりの専門性を獲得することをすすめる。

実際に組織運営を経験することが組織づくりを学ぶ上での最短ルートだと思うので、まずは小規模でもいいので自分が運営する組織をもってみるといいかもしれない。

 

 

 

 

まとめ

  • 個人へのパワーシフトにより、組織より個人が強い時代になる
  • 組織は優秀な個人を獲得するべく、組織づくりに磨きをかける必要が出てくる
  • 組織づくりのできるHR人材の価値はかなり高まる
  • 解決策を出すだけでなく、それを実行しきることができる人材が求められる
  • 実際に組織運営をする経験を積んでおこう

 

 

 

 

 

 

 

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