国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

MCP選挙で見えた数多の崇高さ

 

2018年9月12日、アイセックジャパンの代表を決める選挙が行われた。

コンセプトは ~諸君、狂い給へ~

コンセプト通りのクレイジーなオープニングとともに始まった。

www.youtube.com

オープニングMovieは上の音楽を使っていた。

アイセックは日本25大学に存在していて、各委員会のロールコールを曲に合わせながら軽快に、かつ力強く読み上げていく様はみんなの心を高揚させた。

 

僕は情動を何かとつぶやく癖があるので、その時にしていたツイートを時折挟みながら書き進めていく。

 

さて、そんなテンションマックスで始まったMCP選挙。

けれども答弁は切り替えてシリアスに、真面目に行うのだ。

たかだか学生団体の選挙なんてと思うかもしれないが、この選挙では理想の社会像から若者の可能性について、そして1,600人のメンバーの人生を背負った活動の方針とそれを実行していくリーダーを選ぶのだ。軽いものではない。

 

先に言っておくが、僕は方針がどうだとか、結果についてどうこうという記事を書きたいわけではない。後補人の二人や、有権者の各大学の委員会の代表の覚悟を持った姿勢、そしてそこに立ち会っていた僕をはじめとした参加者、そしてその空間に感じたものを伝えたいと思ったから記事を書いている。

 

まずは後補人の二人についてだ。彼らはしのぎを削りあい、アイセックへの愛や、どのようにして社会を変えるのか、若者にリーダーシップを届けるのかを語っていた。どれだけ怖ろしかろうとも、大人数の視線を感じ、背負う責任を一身に背負って最後まで戦い抜いていた。どれだけ勇気のあることだろうか。

 

ただ、勇気だけではいけない。次年度のアイセックに希望をもたせ、自身のリーダーシップを示すことにより有権者の信頼を勝ち取らなければならない。

有権者はその真偽のほどを確かめるべく、時に厳しい質問を投げかけるし、逆に後補人の人となりがわかるような引き出す質問を投げかけていった。 

 

すべての問いに理路整然と答えられていたわけではなく、二人の至らない点があらわになることも時折あった。覚悟と勇気を持って壇上に上がってくれている二人に対して、足りないものは足りないと突きつけなければならない。

 

土俵に上がったその勇気に対して敬意を払うことを忘れてはいけない。その上で、自身も組織をよくするため、より良い未来をつくるために、たとえ自分が答えを持っていなくとも、同じ土俵に立てていなくとも投げかけるべき指摘はある。それをしないことはもっと愚かな行為であり、自分の力不足を感じながらも、その心苦しさを持ちながら問いをぶつけていくのだ。僕はその心苦しさこそが敬意を払っている証だと思っているし、自分を省みることだと思う。こうして省みることで、次にはもっと自分自身が答えを持った状態で臨めるようになっていく。このスタンスを取ることが僕にとっての崇高さだ。

 

 こうして、自分ではまだ背負えないような責任や覚悟、持てていない勇気やリーダーシップを発揮した姿を見て「あり方」を学ぶのだ。

スキルやナレッジとは違い、あり方はどうも学びにくい。自分を変えることに他ならないからだ。それでも変えたい、ありたい姿でありたいと思わせてくれる背中がいくつもあることがこのアイセックの素晴らしいところだ。僕も誰かにとってのそんな背中の1つに慣れていたら本当に嬉しい。

 

ここまで後補人について注目してきたが、有権者である各委員会の代表に対しても考えさせられるものが多くあった。

彼らは

  • 自分自身という個人の見解
  • 率いている委員会にとってどうかの見解
  • アイセックジャパンという組織の総体としてどうかの見解

という3つの立場を有している。必ずしもこの3つから導かれる答えは同じとは限らない。文字通り身を引き裂かれそうな思いをしながら、意思決定をしたのだ。その痛みをしっかりと受け止め、突きつけるべきことを突きつけ、最後まで考え抜いて覚悟ある投票をしている彼らに心から敬意を表したい。

 

 そしてそんな責任ある票を投じる権利を有していることに感謝できていたら、言うことはもう何もない。素晴らしいリーダーたちだと思う。これは僕が思う有権者の崇高さだ。

 

そして最後にその場に立ち会った人々について。

厳正に行われた選挙の結果に対して、全員が納得しているわけではない。すごく喜ばしい人もいれば、悔しい思いをした人もいるだろう。それでも、自分の直感的な判断の声を無責任に投げつけるのではなく、一度自分の中で消化した上で前向きに未来志向で対話していこうという姿勢を貫いていたのだ。少なくとも僕の委員会の仲間達はそうだった。

社会では自分の感情を最優先して、視座の低い発言をする人はそこらじゅうにいる。誰しも自分が可愛いのだ、仕方のないところはある。

だけど、仲間達は違った。受け止めた上で前に進めるための建設さを皆が有していたあの空間は、僕にとっての誇りだ。

 

いろんな人が背伸びをしたり自分の不甲斐なさを棚に上げながら、理想に忠実であろうとしていた。

MCP選挙を通じて見えた数多の崇高さを僕は忘れない。

そんな崇高さを持った集団ならば、絶対に困難も乗り越えられる、そう思った。

 

アイセックはこれからも社会に挑戦し続け、もがいていける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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