「"〜だから好き"、は恋 "〜なのに好き"、は愛」を考える
はい、久しぶりにイタい記事を書きたくなったので書いてみます。
そもそも書こうと思ったきっかけは、先月
昔、彼女が
— Jack@AIESEC神大副代表 (@kiseijack) October 13, 2018
「〜だから好き」は恋で、
「〜なのに好き」は愛らしいよって教えてくれて、僕がすぐさま
「新垣結衣じゃないのに好き」
って言って二人してめっちゃ笑ったな〜なんて思い出をふと思い出した。
っていうツイートをしたら思いの外いいねが集まったという事があったからだ。なのにじゃないじゃんっていうのは、”新垣結衣じゃない、なのに好き”と句点をつければ解決するので問題はない。
下手すると今まで一番いいねついたツイートかもしれない。最近気付いた事なのだが、どうも僕は若干自嘲気味なツイートが伸びるみたいだ。そうはいってもこれが一番いいねが多いのはやっぱ嫌だ。笑
そんな事はさておき、本当に「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」は正しいのかについて思うことを述べさせてもらう。
この言葉は使われてはいないがこれは真理だとして理解されてきたはずだという証拠を見つけた。
それは先日結婚式のキャストをしていた時に気付いた。挙式の神父さんの誓いの言葉がまさしくそれなのだ。
「新婦〇〇さん。新郎の△△さんは〜な時があるかもしれません。それでも守り支えると誓いますか?」
これは明らかに順接ではなく逆説で愛を問うているゆらぎのない証拠だ。
結婚式での誓いの言葉はもう何十年も歴史がある。皆がその言葉が愛の誓いとしてふさわしいと考えているのだ。
逆説の好きは愛の証明になるという仮説は確からしいとして、順接の好きは恋である証明はどうするか。また恋<愛であるかの証明を考える。
恋は語源を辿ると、もともと戀という漢字である事がわかった。糸という漢字が使われていて運命の赤い糸を連想させるが、戀の漢字が先でそこから波及して運命の赤い糸なんて言葉ができたのかもしれない。
歴史を遡ってみると圧倒的に恋の方が愛よりも歴史が古い事がわかった。確かによく古文の授業で和歌に恋というワードが出てきた。愛は一度もなかったのである。このことから、恋はもともと日本にあった概念であり、愛が遅れてやってきた概念である事がわかる。
昔は愛の指す内容がなかったわけではないだろう。恋という言葉が今の意味よりも広い範囲をカバーしていてその中に愛を内包していた。そして愛という言葉が生まれ手から徐々に恋のカバー範囲が狭まっていったと予測できる。
雲行きが怪しくなってきた。恋の方が歴史も長いし、愛よりもいいものなのではないだろうか...
漢字の形を見ると、恋は下に心があり愛は比べると上に心がある。だから恋は下心なのだ。この説を提唱してみようと思ったが即座にブーメランが帰ってきた。
人をつけてみると「恋人」と「愛人」、明らかに下心なのは愛人なのだ。
しかも、恋人は交際している人だから好きで、愛人は妻がいるのに好きという逆説の証明までされてしまった...
恋<愛という認識はバイアスがかかっている。歌でも愛を歌うものが多いし、Loveという英単語が愛と翻訳されたから西欧への憧れの強かったかつての日本人がもてはやした可能性はある。
そもそもどういう基準で優劣をつけるのか?純粋なものはもしかしたら恋かもしれないが、燃え上がっていて情熱的なのは愛かもしれない。でもそれはケースバイケースでどっちが良いことなのかは変わってくるだろう。
ここまでの検討を重ねついに結論に至った。
「"〜だから好き"、は恋 ”〜なのに好き”、は愛」なのは本当。
ただ愛の方が恋よりも尊いというのはつくられたイメージで、恋>愛の場合の方がむしろ多いくらいだということ。
おふざけ半分で書き始めた記事だったが、思いの外考察しがいがあった。
最後まで読んでくださった読者のみなさま愛してます!笑
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