国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

自信を持つためには"自己〇〇"が必要

自信があれば...

自信があればもっといろんな経験に挑戦できたのに、後悔せずに済んだのに、そう思うことはないだろうか?

僕は元々ネガティブで挑戦しなかったのでよく思っていた。

(自己紹介のブログを見れば少し書いてる。)

jackshima.hatenablog.com

今は大分マシになったので、どんな経緯で変わったのかを書く。

人それぞれだと思うので試してみるか程度に捉えてくれると嬉しい。

 

紛らわしい"自己〇〇"という言葉

今回は"自己〇〇"をテーマにして書いていく。

"自己確信"、"自己肯定感"や"自己有用感"という言葉を聞いたことがあると思う。

これらの言葉を定義するところから話し始める。

  • 自己確信:影響力の資質。自分の能力と判断力に自信を持っている。自分は正しい方向へ進んでいると信じることができる。
  • 自己肯定感:自分は大切な、価値ある存在だと感じる心の感覚のこと。自尊感情と同義語。
  • 自己有用感:他人の役にたった、他人から喜ばれたなど他者評価を判断材料として自分に自信を持つこと。

微妙にそれぞれ意味が違う言葉であることがわかるだろう。

一口に自信と言っても色々あるみたいだ。

自分が自信をもつようになるまでのプロセスをそれがどの自己〇〇なのかを考えながら辿っていくことにする。

 

相対評価の転換

僕は幼い頃から才能というものにこだわっていた。努力ではなく才能に惹かれていた。天才にはどれだけ努力しても叶わないし、そつなくこなす方がコツコツ努力するよりかっこいいと思っていた。今でもまあそう思うことはある。

 

天才や才能という考え方は、絶対に誰かと比較して成立するものだ。

ダヴィンチほどいろんなものを発明した人はいないから、ダヴィンチは天才と呼ばれているし、出来杉くんは他の人が取れない中で100点を取り続けるから天才なのだ。

 

僕は天才じゃないからそこまでできないだろう、Aさんよりバカだから無理だろうetc...

でもよく考えて見てほしい。

勝てない人間と比べて凹み続けることに何の意味があるのか?

とはいえ比べる人は比べずにいはいられないだろう。

 

何かと比較することが癖になっていた僕は、"他者"ではなく"過去の僕"と比較することにした。

一年前の自分と今の自分はどうだろう?二ヶ月前の自分と今の自分はどうだろう?と。

 

その頃僕は大学からAIESECという学生団体で活動し始めていて、何一つ頑張っていなかった高校生時代から比べると嫌でも多少は成長していた。ネガティブで自身を認めることができない僕でも、それは疑いようがない事実だった。

 

この考え方をすると自分の変化に気付けるので安心できる。普段は悲観して途中で折れることも、自分のしてることは正しいと信じて続けることができる。

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これは、自己有用感で考えることを一度辞めたことで自己確信や自己肯定感が上がったということになる。

 

天井を無理やり引き上げられる出逢い

上述した考え方に気づいてから半年後、別の形で自己肯定感を引き上げる出来事があった。それはたった6日間ベトナムでビジネスプランを考え、日系企業に営業するという無茶体験ができるイベントに参加した時のことだった。

https://www.kokokara-asia-tour.com/

(↑イベントのリンク)

 

メンターに連続起業家の塚本廉さんという人が来てくださっていたのだが、この人が本当にヤバかった笑。自分の常識では考えられない生き方をしているのだ。

エンジニアで技能五輪に出ていたり、起業めっちゃしてたり、数カ国語しゃべれたり、同時に3つのオンラインミーティングをさばいてたり(笑)、広く深くとはまさにこのことと言わんばかり。安倍総理とも交流があるとかないとか...漫画か何かかなのか、この人の1日は100時間あるんじゃないか、そう思った。

http://p://out-elite.com/tsukamoto-entrepreneur

(塚本廉さんの活躍が載っている記事)

 

すごい人はこれくらいのことができるだろうという想像をみんな持っていると思う。廉さんはその想像をはるかに超えた人だったので天井が引き上げられた。

例えば、すごい人は150km/h投げれると思っていたら実は200km/h投げれたみたいな。

すると、自分は頑張っても100km/hくらいしか出せないと思っていたけど、120km/hくらい投げれるんじゃないかなと思えたのだ。

 

自然と自分への期待値が上乗せされた。これも変わった形の自己肯定感の向上だ。

ちょっと現実味のあるすごいやつだと劣等感に苦しむだろうが、ここまでぶっちぎっているとそれはない。

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こんだけすごいことを一人でできちゃう人がいるんだから、僕も官僚になって法律を変えることくらいできちゃうんじゃないかなと今は本気で思っている。

 

この後、塚本廉さんはアイセック神戸大学委員会に来ていただいた。みんな圧倒されていたけれど同じように天井を引き上げられたことだろう。ありがとうございました!

 

建設的な自己否定をして、giverになる

ここまではどうやって自分へ期待をかけてあげるかという内容を中心に書いてきた。

ここからは上級編(できる人にとっては当然のことかもしれないけど、自信がない人には難しい)に入る。

それは建設的な自己否定ができるようになることだ。

 

どういう意味かというと、他者比較をして負けている、全然ダメだとなった時に、

ただ凹むのではなく、

どうすれば追いつけるだろう?じゃあこれからどうしよう?と前向きに考えることだ。

 

最初の僕にはできなかったはず。でもこれまでの経験を通して、自身への期待を持てていればできるはずだ。

少しずつでいいから、理想を見て、Gapを痛感して、前向きに捉える練習をしよう。

 

そんなことはしたくない、自分が可愛いからコンフォートゾーンに留まりたいという人もいるだろう。

 

でも自分のためではなく、他の人の役に立つためだとしたらその痛みは我慢できるのではないだろうか?

演劇でお客さんが来てくれるからこそ、役者が一生懸命練習するのと一緒だ。

自己有用感の追求は、建設的な自己否定を支えてくれる。

 

ここまでくれば、もう自信がないなんて言わないだろう。

挑戦できる自分に変われているはずだ。

人生を楽しもう。