【セルビア①】超親米国コソボ。セルビアから往復してみた。
アフリカの真ん中らへんの国です。本格的にアフリカ旅が始まりました!
キガリの治安はすこぶる良く、夜道を歩けるほど。ここで骨休めをしてタンザニアを乗り切ろう。
いつものお願いです!
ブログランキングに参加しています。
下の画像をクリックしていただいてから読み進めてください!
ランキングにつながり励みになります!
↓↓↓
ここでは国境の手続きがある。
ハンガリーはEU加盟国だが、セルビアはEU加盟国ではないのだ。
セルビアの通貨はディナールで、ありがたいことに1ディナール1円だ。
ハンガリーのズゥオティはとてもややこしかったのでわかりやすい。
バスからおりていつも通りマックで早朝を過ごす。
街は少しボロくて古い感じがして、EUから出たんだなぁって気がしてくる。
日本がプレゼントしたのであろうバスも見かけた。
ベオグラードで泊まる宿は、すごく綺麗なんだけどエレベーターなしで少なくとも6階は階段を登らなくちゃならない...
物価も安くて、ビールは50円。セルビア版ハンバーガーもかなり大きくて120円ほど。
公園で食べてご満悦。
街の中心部はちゃんと都会だった。
このメインストリート沿いには欲しくなる小物がたくさん売ってる。
ストリートを抜けると眺めの良いひらけた公園に出る。
親子がベンチに座る姿がとても絵になった。
ベオグラードはざっくりこんな感じ。
セルビア人はみんな親切で、物価も安いのでヨーロッパ疲れした僕らにはすごくよかった。
でっかいピザが1カット100円ほど。ヨーロッパ随一の物価の安さ。
ヨーロッパの主要な都市と比べるとこじんまりしているけれど、ベオグラードにはベオグラードなりの良さがあるなと感じた。
コソボって国名を聞いたことがない人が多いと思う。
有名でないだけの結構複雑な事情がある。そこについてまず説明していこう。間違いがあるかもしれないが悪しからず。
セルビアやコソボの位置するバルカン半島はヨーロッパの火薬庫と呼ばれていた争いの絶えない地域だった。
ユーゴスラビアという国があったのだが(多民族多言語の複雑な国だった)、指導者であるチトーの死後から乱れ始め、独立が相次ぐようになった。
セルビア南部のコソボはアルバニア人の多いエリアで、セルビアからの独立を目指し戦った歴史を持つ。
今でも独立で揉めている状態が続いている。
独立国家としてコソボを認めている国の方が認めていない国よりも多いのだが、セルビアと中のいい国連常任理事国であるロシアが認めないなどで国連加盟は認められていない。
コソボに行く際はちゃんと国境も存在してパスポートにスタンプも押された。
逆のルートだと勝手にセルビアに入国した扱いで咎められるのだとか...
すぐ着くはずが、国境がもたついたのとバスの故障でかなりの立ち往生。
バスが炎上したらこわいなーと思って路肩に出て座り込んでまつ。
喉がカラカラだったのだが、エンジンを冷やすのに大量に水を投入していた。
俺は飲めないのにバスはゴクゴク飲んでやがる...
我慢の限界で乗り合わせてたおばちゃんに水くれって言ったら、丸々一本くれた。
ほんと助かった...
夕方には着くはずが、結局すっかり日は沈んで夜10時くらいに到着した。
想像以上に都会。
商店でコーラとスナック菓子、ローカルビールにサンドイッチを購入して晩御飯とした。
ここで言い忘れていたが、コソボの通貨はセルビアディナールではない。
なんとEU加盟国でもないのにユーロなのだ。この辺りからも俺たちはセルビアじゃないんだぞって意思が表れている。
翌朝、街を散策。
正直プリシュティナに見所は全然なくて、行かなくてもいいと思う。
それでも僕が行ってよかったなと思うことは二つ。
この二点だ。
一点目はすでに触れたので二点目について。
以下のプリシュティナを歩いているときに撮った写真をみて欲しい。
ビルクリントン大統領のでっかいポスターが貼ってあったり、アメリカ国旗がコソボ国旗と並んで掲げられている。
すごく奇妙な光景だろう。
ここにも先ほど述べた、複雑な歴史が影響している。
セルビアとの戦いでかなり攻め込まれていたコソボだったが、NATOが軍を派遣して窮地を脱することができたのだ。
そのNATOの派遣を決めたのが当時のアメリカ大統領ビルクリントン。
これは本当か定かじゃないけれど、ビルやヒラリーって名前を子供につける親が多いらしい。笑
NATO派遣の際、セルビアが悪いコソボはいじめられていてかわいそうだという印象を作り上げた報道があったという。
どのように国際世論を味方につけたのかについて、『戦争広告代理店』という書籍で書かれているそう。すごく読みたい。
国同士の利害関係、友好関係が背後にあるってことを理解した上で国際ニュースを見るとまた違った見え方がしてきて面白いのだろう。
ユーゴスラビアが崩壊したことからも、人種、宗教、言語の違いは大きくてそれを多様性として承認できる社会の実現は遠いのだなとも感じた。
歴史ばかり話してきたので実際に巡った観光名所(と呼べるほどではないが)も紹介しよう。
まずこれがマザーテレサ教会。実際にマザーテレサが来たらしい。
変わった建築の大学図書館。
今は使用されていない廃墟の教会。
NEWBORNと書かれたモニュメント。このデザインは毎年塗り替えられるそう。
ご当地料理。ミートソースっぽいスープは量が多くて、最初はいいものの後半はかなり飽きていた。
それよりもこのジュースがかなりうまかった。
旅中に国とは何かを考えたいなぁという想いがあったので、見所が少なくともこの国境を行き来することができたのは僕にとっては有意義だった。
帰りは特に問題もなくベオグラードに戻ってくることができた。
次回はフランス。