派遣で一週間85時間働いてみて感じたこと
世界一周の資金を貯めるためにこの一ヶ月、派遣で長い日だと朝から晩まで立ちっぱなしで働いています
自分にとっては初めての経験でいろんなことを思ったので列挙したいと思います
そもそもバイトというものがとても嫌いな人間なので自分にとって苦痛がかなり伴う行為であるということを念頭に置いていただけると助かります
また今回の記事で書かれた仕事をしている人に対して軽蔑の感情はなく、むしろ働いて社会をまわしていることへの感謝とリスペクトを持っていることを最初に伝えておきます
- 過労死って本当に起こり得るんだな
- 職場でのコミュニケーション力ってデカイ
- 日本語の通じない日本人が一番コワイ
- お金に換算してみる
- 文化財コンサルタントってイケそう
- 心のもちようは一番の薬
- 社会は足るを知りすぎている
- 最後に
過労死って本当に起こり得るんだな
朝晩働いて、その労働によって生み出される価値に対してなんら思い入れを抱くことができず、時間を共有する同僚に対して嫌悪感ばかりがあり、この生活がいつまで続くのかがわからない...
こうなったら人は死んでしまうんじゃないだろうか、そう思いました
1日のほとんどの時間を投資するために、仕事以外の楽しみはほとんどつくれない事になります
実際ピークの一週間は朝も早いから家に帰って飯食って風呂入ったら寝て、起きたらまたいくしかない...っていう無味乾燥な毎日でした
仮に下宿だったら家に帰れば一人だし、栄養状態ももっと悪くなると考えるとかなりやばいです
言い過ぎだって思うでしょうが、実際にするかもと僕が考えたわけではなくてする状況って今にこういう要素が絡まってきた条件なんだろうな...って予想がついたって話です
- 終わりが見えない(無期限
- 人間関係
- 睡眠
この三点はデカイんじゃないかなと思いました
職場でのコミュニケーション力ってデカイ
人間関係に直結するのがコミュニケーション力だと思います
幸いなことに、多くの人とそれなりの友好関係を築くことができました
「どうせ楽しくないのなら、少しでも自分で楽しい環境に変えていく」
そのうちの1つが良好な人間関係の構築です
人はやっぱり人だからいくら公正に接しようと思っても、仲の良い人に肩入れしてしまうものです
よく話しかけてもらえたり、仕事をたくさん入れてもらえたり、休憩ちょっと多くさせてくれたりとか
ストレスが溜まりやすい仕事ならなおさら、人付き合いの部分で感じないむしろ和らげることができると強いなと思います
日本語の通じない日本人が一番コワイ
バイトが嫌いな理由の最たるものがこれです
塾講とかだとお金の防御壁があるのでなかなか遭遇しませんが、特に飲食などだと頻繁に遭遇するのではないでしょうか
職場は観光地なので外国人が結構多いのですが、外国人以上に日本語の通じない日本人がたまにいます
いわゆる理不尽な人たちですね
自分の都合だけを考えていて感情の発散を自己都合でするから日本語が通じない
論理的に正しくても関係なく文句を言う(ここまでにしておきますw
このような人たちには対応する時間とストレスといった精神の両方を消費させられます
今の社会においてこのような人たちの割合が徐々に増えているとしたら、コストは計り知れないな...とかその割合が極力低い綺麗なところで生きていたいって願望が高まります
お金に換算してみる
1日を投げ出せばだいたい一日¥12,000は稼げるんだよなってことが当たり前ですがわかりました
となると、僕の今日1日は¥12,000の価値があったのか...?とか考えるようになります
もっと高時給な仕事ももっとあるから換算金額はもっと上がり売るわけです
そんなこと気にせずにだらだら過ごすことも贅沢なことなんだなぁとか、シンプルに時間効率あげてかんとなとか、そんな陳腐なことを思いました
お金の尺度しか持ってないのは寂しいけど少しくらいあると律せたり毎日のありがたさを感じられて良いかもしれませんね
文化財コンサルタントってイケそう
これ結構可能性ありそうって思いました
どこの文化財の管理も一緒なのかはわかりかねますが、結構お役所っぽいところがあると感じました
事務所の仕事は誠実さとか正確さが求められるものが多いのだと思います
逆にデジタルに弱かったり...みたいな苦手なこともはっきりしています
最近巨額の改修工事に伴いいくつかの設備投資を行なっているみたいなのですが現場での評判はあまりよろしくないようです
複雑すぎてお客さんに使い方を尋ねられまくる券売機は最たる例です...
一度初見で何人かに使ってもらうってことをすれば防げたはず
入場料の値上げなどで改修工事の費用を工面しているのですが、いざ文化財がしっかりお金を稼げなくちゃならないとなると普段慣れない仕事が入ってくるので参入の余地があると思いました
イベントの会場として使われることが増えてきていますが、それも維持するために必要な工夫の1つなのでしょう
ガードの固いイメージがありますが、こういった大工事を行う予定のある文化財にはアプローチできるんじゃないかなぁなんて想像しました
心のもちようは一番の薬
自分で楽しめるように持っていくしかないし、こうやって自分のモチベーションを高めるのが結局自分にとっても周囲の人にとっても良い
やりがいを見いだすのと似ていると思います
レンガ積み職人の例が有名だけど、正直自分一人じゃ限界があるし、impactを日常的に考えさせることができるCHROは偉大だなと思います
どう考えてもただ人の列を整理して人を中に円滑に入れるという事柄にやりがいを見いだすのは難しいです
英語の練習もできる、とか今日1日でパリの三日分だ!とか言い聞かせて、自分のご機嫌を取りながら働くと少し楽でした
社会は足るを知りすぎている
ピークの日の合間に、1日だけ昼過ぎからの勤務の日がありました
在学していた頃なら普通に嫌だなバイトがある...と感じる同じ拘束時間なのですが、朝から晩まで拘束されていたのですごく幸せに感じたおをはっきり覚えています
その日の朝から昼過ぎまでは時間を濃密に過ごすことができました
以前に幸せとは傾きであるというブログを書きましたが
改めてその通りだなと実感しました
でも今回は追加で現状が悪すぎて幸福に感じるラインが下がっているということと、その幸福ラインで生きている人は結構存在するという事実に目が向きました
足るを知るというと聞こえはいいですが、もっと高い次元の幸福を求めて生きてもいいんじゃないでしょうか
たまの休みでビールが飲める幸せ、甘いものを食べられる幸せ、友人と飯が食える幸せetc...
これらは確かに幸せなことなんだけど、これが唯一の楽しみだったりめちゃくちゃ幸せに感じるということはそれ以外の大多数の時間を占めている日常との傾きが大きいということになります(傾きと幸福を感じる度合いには個人差があるので少しの傾きで満足できる人とかなり傾かないと満足できない人はいる)
もっと自己実現とか理想の社会実現といった次元の幸福をみんなが当然のように追求できる、なかなか足るを知れないような世の中でもいいんじゃないかなぁと思いました
最後に
自分が最近まで考えていたこうなったらなぁって理想は実は価値提供対象が限られた人たちで、全人類の範囲から考えたらほとんど自分と一緒と言えるような存在ばかりなんだなとしみじみ思いました
でもそうやってほぼ同じカテゴリの人間に対して価値提供をし続けても勝つひとが勝ち続ける仕組みは変わらないし、もっと違うカテゴリの人を知ることができたり、関わったり、価値提供をしたいと思えることが必要不可欠です
たかが派遣の仕事ですが、勤務中に時間は腐る程あったのでここまで想像を膨らませることができました
日頃からこうやって思いを馳せ続けて生きたいと思います