国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

旅に出て一週間が経ちました

こんにちはジャックです、旅に出て一週間が経ちました

 

今はまだバンコクにいて、バックパッカーの聖地と言われるカオサンロードの日本人宿Long Luck Guesthouseというところに泊まっています

 

f:id:naoki9918:20190510180907j:plain

 

メジャーなワット(寺院)も見たり、料理もだいたい堪能できました

 

 

バンコクでなら暮らせる気がする

f:id:naoki9918:20190510181104p:plain

だいぶバンコクには慣れてきて、ここなら住めるなと思えるようになってきました

一人旅をはじめてしてみたいという方にはいい国だと思います

 

親日国だし、ご飯も美味しいし、物価もそこそこ安いし最高です

人も笑顔をよく振りまいてくれます

 

アソークなどの中心部には日本人が多く生活する場所もあり、日本語のフリーペーパーまであります

五万人近くの日本人が暮らしているだけのことはあるなと思いました

 

暑さだけなんとかなれば...

 

 

現地を知ることの難しさについて

 

今回の旅には”日本はどうあるべきかを考える”というテーマを置いています

その背景もあってただ観光地を行って写真を撮るだけじゃない旅にしたいと考えていました

 

でも実際はなかなか難しいものがありました

 

外国人である僕が通る動線には観光客向けの側面しかなかなか見えないようになっているし、街中の人は英語を介さない人が多い

たまにわかる人がいても客としてみている場合がほとんど

 

自分でしっかりと観察すること、言葉の通じる少ない人にその観察して気づいたことを伝えてみることの2つをしていかないとなと思います

 

現地で暮らす日本人の方だと、日本との比較をしやすいためいいのかもしれません 

 

 

 

 

考えること、考えないこと、時間を決める

f:id:naoki9918:20190510172948p:plain

ジャッキーチェンの名言

さっきの話を全部ひっくり返すようですが、難しいことを考えすぎないでただ生活して肌で感じてみるのもいいんじゃないかなって気がしています

 

まさしく”考えるな感じろ”って感じですよね

 


過去の記事でも書いたことがありますが、僕はほっといてもデフォルトが考えてしまう人間です

 

不安とか心配、懸念点などは考え出したらきりがない

でも安全のために考えた方がいい時もある

なんでこうなってるんだとか学びもじっくり腰を据えたほうがいい時もある

 

 

だけどそこでぎゅうぎゅうになってたら勿体無い

なのでこういうことを考えるときはPCを開いたときだけにするとしています

 

 

なんでこうなってるんだろうって好奇心から生じる考えは前向きなのでOKです

 

 

周りの旅人は、もっと自由奔放でのほほんと過ごしている人の方が多いようです

自分はやっぱ真面目だなぁとかも思います

 

でもこれも考えなくていいことです

 

他の人と比べてハードな旅をしてきたとか、まだ経験が浅いとか、もっと自由気ままじゃないといけないんじゃないか...そんなのはどうでもいいんです

 

参考にしたいと思ったらしたらいいけど、何より自分の旅だから誰に気を使うでもなく自分のしたいように過ごせばいいんです

そこが最初の数日は拭えなくて、ぎこちない感じがありました

 

 

下手に気負ったり背負ったりする必要はないんです

そんなん当たり前やろって思うかもしれないけれど、スッとそう思いにくい人なんです

 

これもだから悪いとかどうとかはない、ただそういう特徴ってだけの話

 

先の旅路を考えて不安になることもよくあるけれど、その時や向き合わざるを得ない時がくるまでの時間もマインドシェアを奪われて色褪せてしまったら勿体無い

 

 

だから考える時を分ける

あとは常に前向きであることを心がけています

 

 

 

間をコントロールすること

別の話をします

人間という言葉がありますが、中国ではただ人としか言いません

人間は日本で生まれた言葉だといわれています(諸説あり

 

じゃあこの”間”とは何か?それは世間の間からきているといいます

 

日本ではまわりがどう思うかを重視して生きることが他国よりも非常に多いと言えます(ここはもっと多くの国を実際に感じてYesと言い切れるようになります)

 

間の包括する範囲が社会規模にまで至るのが世間です

 

 

タイだと世間体というものを気にせず気楽に過ごせている感覚があります

これは間を共有する範囲が狭いからかもしれません

 

 

でも例えば寺院では気にしなくてはいけないことが存在します

ノースリーブではいけません、こうやって拝まなくてはいけませんetc...

微笑みの国タイでも、仏教の介在する間では厳格な側面も存在するのです

 

 

その間にお邪魔する以上間のルールには則らなくてはなりません

逸脱した行為を間と違うから間違っていると言われるのです

 

 

昨今では多様性を尊重しようというテーゼがよく叫ばれていますが、付随して違いは間違いではないという言葉もたまに耳にします

 

でもさっきの寺院の例のように、間という概念が存在する以上確実に間違いというものは存在します

 

今の間に対して不満がある場合は

  1. 間に適応する
  2. 別の間に移る
  3. 間を変える

この三択しかないはずです

 

寺院の例に則ると

①は作法がわからないなりに、周囲の姿を見てその通りに習って手を合わせてみる

②はそもそも参拝することをしない

③は作法をこれに変えてよと働きかける

 

こんな感じです

 

③ばかりを主張するのもどうかという気がするし、常に①ができないというのも問題だと僕は思います

 

あとパターンとしてあるのが③の亜流で間の分割です

間の掟を塗り替えるのは骨が折れる難しい、だから君たちは変えなくていいからこれはこれで存在していいことにしてよという具合に分けてしまうという方法です

 

 

もっと間をそれぞれがコントロールして生きていけたら、心地よく暮らせるんじゃないかなとタイに来て一週間経って思いましたとさ

 

 

元気に生活してます、明後日からアユタヤ、寝台列車チェンマイに行ってきます

楽しみ...