誠実さとコミュニティのあり方
先日、友人のツイートがバズっていた。
https://twitter.com/banjoyatakumi/status/1026826730693058560
私よく病むという人がいたら声を大にして言いたいのが、
— 番匠谷 拓実 | やさしい社会をつくる (@banjoyatakumi) August 7, 2018
「所属コミュニティを増やして!」
ということです。
ぼく所属コミュニティが1つの時に何回も潰れたけど、今7〜8くらいコミュニティあるから一気にましになった。
居場所の量が幸福量に比例するのは内閣府のデータでも明らかになってます。
このツイートを見たときに、ちょうど僕は新しいコミュニティとの関わりがあり、誠実さというテーマと結びついたため記事を書くこととした。
特に目次の三つ目からは自分の主張を述べているので特に読んでほしい。
コミュニティとは
コミュニティと幸福の関係性
複数のコミュニティを持つ際の注意点
コミュニティは自分を映す鏡となる
大切なことは誠実さ
コミュニティとは
聞きなれない言葉かもしれないので簡単に意味を説明する。
同じ共通点を持った人間の集まりのことを指す。共同体のこと。
コミュニティというとたいそうなものに聞こえるかもしれないが、家族やクラスメイトなどもコミュニティと言える。
居場所としての側面を有していることが多い。
コミュニティと幸福の関係性
冒頭で紹介したツイートにあるように、所属するコミュニティが多いほど幸福の総量は多くなるという研究結果が実証されている。
これは"自立"というテーマと大きく関わっている。
自立と聞くとどんなイメージをするだろうか?
多くの人は、誰にも頼らずに一人でなんでも出来るもんってイメージを持つだろう。
これもまた一つの自立のあり方だが、コミュニティと幸福の関係性はまた別の自立のイメージを理解することでわかってもらえると思う。
今回の自立とは、複数箇所に依存するというイメージです。
どれか一つの依存先が潰れても、他に支えられる存在があるから成り立つという仕組みになっている。分散投資のイメージに近いかもしれない。
複数のコミュニティを持つことの注意点
ここまで話したことはよく言われていることで、知ってるよって思う人もいるのかもしれない。
ここからの話は実際に複数のコミュニティを持つ上で居場所と云う観点とは別の利点やリスクについて迫っていきたい。
僕が一番のリスクだと思うことは、一つのコミュニティに傾倒してその他のコミュニティをないがしろにしてしまうということだ。人の興味や関心は移ろうもので、それと同様にコミュニティへの関心度合いも移ろうだろう。それ自体は仕方のないことで特に問題はないと思うが、コミュニティを失うような結果に繋がらないとは限らない。
時間の使い方も変わるし、コミュニティごとにルールも異なる。急に複数のコミュニティでの活動を成り立たせることは難しいと僕は思う。
コミュニティは自分を映す鏡となる
先ほどは注意点について話したが、僕は居場所や自立といった幸福以外の良い点があると考えている。それは自分を省みることができるということだ。
コミュニティごとに自分のキャラクターや役割は異なるだろう。
僕だったらアイセックでは副代表で積極的に提案をしたり方針を策定するような役割を担っているけれど、バイト先では先輩に仕事を教わり学び現場で貢献する役割を担っているなどだ。
こうすると、一つのコミュニティだけでは得ることが難しい異なる視座での活動が可能になるのだ。会社で例えるならば上司や部下を行き来するということになる。そうなると自然と自分は別のコミュニティではどう見られているのか?という、周囲から見えている自分像を省みることができる。
コミュニティの特徴はそれぞれ違うはずで、コミュニティの良い部分やよくない部分も照らし合わせることができるようになるだろう。日頃から熱量高く本音で話すという強みがあったり、時間や礼節に厳しくかっちりしている強みがあったり。
そんな強みをもう一つのコミュニティに置き換えてみて、より良いコミュニティへと発展させるようなことも見込めると思う。挨拶する文化のコミュニティでその良さを実感したら、普段はぎこちない家庭内でも挨拶をしようとするなどが具体例だ。
コミュニティは自分やコミュニティ自体を映す鏡になる。
それが僕の見出す複数のコミュニティに所属する利点だ。
大切なことは誠実さ
先ほど、注意点にないがしろにすることでコミュニティを失うこともあるという話をした。 これは実際によくあることで、僕にもあった。
どこかに注力して時間をかけられなくなる、キャパシティを割けなくなる。
それでもサボってはいけないことが誠実に向き合うことだと僕は思う。
あなたにとっての誠実さはなんだろう?
僕にとっての誠実さは、自分がかけられる時間やキャパシティの中で、最大限の努力をして関わることだ。
それがないがしろにしないということだと思っている。
どうしようもなくダメな自分を無償で受け入れてくれるコミュニティもあるだろうけど、無意識的になんらかの価値を与えあってるからこそ成り立つものがコミュニティだと思う。持てる限りの誠実さでコミュニティに関わっていこうと思う。