日本初トークンコンサルタントと話して見えた未来
橋本裕貴@日本初トークンコンサルタント(@hifukf)さん | Twitter
とお話させていただいた。
トークンエコノミーの発展によってどのような世界へと変わっていくのかというテーマを皮切りに、白熱した話を記事にする。
[目次]
なぜトークンに関わることになったのか?
シェアリングエコノミーと新たな働き方
国に残された役割とは
これから求められる教育
終わりに
なぜトークンに関わることになったのか?
最近話題になり耳にすることが増えてきた"トークン"、でもよく意味がわからないなんて人は多いのではないだろうか。僕もその一人なので現時点で理解していることを少し説明をする。本記事ではトークンの技術背景ではなく、それによって訪れる社会の変化についてが趣旨なため簡単に。ご了承ください。
トークンとは?
既存のブロックチェーン上で発行・流通している引換券のこと。特定の経済圏においてお金と同様に使える。
ブロックチェーンとは?
仮想通貨における取引データ技術のこと。
取引における信頼性を引き上げる行動(マイニング)をすることでトークンを取得できるという、正のインセンティブを起こすことで不正取引を抑制する技術。
トークンやブロックチェーンというテクノロジーという手段が、理想の社会に近く上で有効な手段だという確信がありトークンについて関わるようになったそう。
どんな社会が実現するというのだろう?
トークンエコノミーと新たな働き方
橋本さんによると
既存の資本主義社会における勝者が勝ち続けるという仕組みが打破されること
が最たる変化だそう。
どういうことなのか?
今までは円という基軸通貨が流通する大きな一つの経済圏の中で、どのようにして生きていくかという社会だった。
確固たる基盤を築いていて勝つ人はずっと勝ち続けてしまうし、負ける人はずっと負け続けてしまう。橋本さんは家庭が貧しかった原体験から、その勝者が勝ち続けてしまう社会を変えたいと思っていた。
トークンエコノミーの登場によりこの社会構造は変化するという。
国家に限定されていた貨幣の発行は解放され、自分でトークンという貨幣を発行し独自の経済圏を築くことができるようになる。こうして大きな一つの経済圏ではなく複数の経済圏が存在する社会になることで、自分の個性や価値観に応じて経済圏を選んで勝負できるようになるのだ。
お金2.0で書かれているように、それぞれが違うレースで勝負できる社会になる。
今まで勝てなかった人が勝てる環境を見つけることができる。
今までは野球の能力だけで評価されていた社会だったが、サッカーが得意ならサッカーで、テニスならテニスで勝負するというように多様なレースに参加できるイメージだ。
この話を聞いてみて、youtubeのCMを思い出した。
「好きなことして、生きていく」
Youtuberは最近登場した職業として有名なものだろう。
これからもっとたくさん新しい職業が出てくる。
それで食っていけるのか?という問いも、価値を見出す人同士が集まってトークンエコノミーが形成されるため大丈夫ということになる。
好きこそ物の上手なれという言葉がある。仕事を好きで楽しみながらやる人と、嫌々やる人とでは大体の場合前者の人が勝つだろう。
これからの社会で求められる力は変わってきそうだ。
この他にも
- 経済圏がたくさんできても特定の経済圏に人気が集中することはないのか
- みんながしたいことをする社会って成り立つのか
- ベーシックインカムの導入はどんな変化をもたらすか(後日記事にします)
- 複数のレースで満遍なく勝つ人が出てくるのか、どこか一つのレースで優勝するという人が出てくるのか
といったテーマを議論した。また随時記事にしていきたいと思う。
国に残された役割とは
通貨の発行という大きな役割までも個人の手に渡るとなると、国にはどんな役割が残されているのだろうか?
- 国防や治安維持の警察などの役割
- 法律の整備
この二つは残される役割だと考える。しかし間違いなく国家の権力は弱まっていき、夜警国家へと進んでいくと思われる。法律の整備は、テクノロジーによって人がしなくても良い仕事を代替していくなどの促進とお墨付きをつける役割である。
この二つの役割は容易に想像ができるし有名な話だが、さらにやりたいことで生きていける社会になると別の役割が生まれる。
それはやりたいコトの偏重へのバランス調整である。
例えばみんながyoutuberになるとしたらいろんな不具合が社会には生じるだろう。人はそれぞれ考え方は異なるから、本当にしたいことを突き詰めていくとかなり多様になるとは思う。が、食糧生産やエネルギー資源など、人々が暮らしていく上で最低限必要なものの生産に人が全然携わらないとなると社会は崩壊する。
このようなアンバランスが発生した時に調整する役割を国が担うということだ。テクノロジーによる補完はもちろん可能だろうが、それだけで全てが解決するわけではない。
BI支給の条件として一定時間バランス調整のための労働義務を課すなどがやり方として想定できるのではないだろうか?
さらなる役割として、国は国のVisionを決めるという重大な役割を担うことになる。
これはかなり難しい。経済発展が幸せの尺度と同義な時代は終わりを迎えている。 GDPを競う社会は終わりを迎える。日本は日本なりの幸せを定義して、その方向性に向かってよりよくなるように進んでいくことを目指すのだ。
その"日本なりの幸せ "が国のVisionである。日本のVisionについても今後考察を深め記事にしていく。
そして最後に教育の役割がある。
これから求められる教育
これからの社会において必要な力は何だろう?教育はどう変わっていくのだろうか?
僕の考えとして大きく三つ必要なことがあると思う。
- 志の探求
- 健全な自己否定
- 倫理観
である。
志の探求
志とは自分がしたいことを見つけることとほぼ同義だ。僕としては理想の社会を描き、その実現のために自分はどんな役割を担い誰にどんな価値を与えるのかまで考えることとしたいと思っている。
トークンエコノミーと新たな働き方の章を読んでいれば志の必要性がわかるだろう。
志に磨きをかけていくことがより人生を充実させていくことに直結するのだ。
イスラエルでは「生きる意味は何か?」という問いを家庭で投げかける習慣があるそうだ。このような形もありだと思う。
健全な自己否定
相対評価ではなく自分の中での幸せで生きていく社会になると散々言っているが、人はどうしたって相対評価からは逃げられない。
隣の芝生は青いという。自然と他社と比べてしまい劣っていると考えたり、合わせようとしたり。
しかし、相対評価をすることが悪なのではない。
相対評価をして凹んだり自分の思いを屈折させることがダメなのだ。
健全な自己否定ができるような教育が求められるだろう。
こちらの記事で詳しく書いているので参照してほしい。
倫理観
最後は倫理観。言い換えるならば共通善である。法律では縛りきれない人の思想を整えるために必要なものだ。
これは個人がやりたいことを追求する社会が成り立つ上で重要である。
刺激的な世の中にしようということで殺人をする仕事などは到底認められないことだ。
極端な例だがこのような人として認められない思想は排除すべきだし、そのような逸脱して道に進まないよう踏み止めるものが共通の倫理観だ。
何が倫理的に正しいかを定義することは非常に難しいからこそ、国が決めるのだ。
終わりに
本記事はこれから僕が生涯かけて考えていくべきテーマとなった。まだ答えが出せていないものがほとんどだが、これからより明確に日本のVisionを考えていきたいと思う。