2018年のクリスマス感が薄いわけ
クリスマスが今年もやってくる〜♫ という歌がある。その通りでクリスマスはフランシスコザビエルが日本でミサを開いてから、宗教弾圧の時期は途絶えたもののずっと存在しているものだ。もちろんだから一昨年も、去年も、今年も存在している。
しかし、今年はどうもクリスマス感が薄いのだ。これは別に僕が予定がないからとかではない!...はず、です、はい。笑
実際にクリスマス感が少ないという声を不特定多数から聞いているし、以下のようなスレも立っている。
今回の記事ではクリスマス感が薄い理由を探っていく。
メディア広告が理由?
バレンタインデーのチョコレートを送るという文化は業界が総出でプロモーションを行った結果作り上げられたものだ。実際日本以外の国ではプレゼントを贈るという習慣であり、チョコを贈るのが当たり前という文化ではない。
この事例からもわかるように、日本のイベントごとは結構メディアによる印象操作によるところが大きいと言える。
山手線の車内広告では「ゆく年、観まくる年」というクリスマスを通り越して、ゆく年くる年にかけたフライヤーをNETFLIXが打ち出している。
今はどちらかというと一年が終わるという年末感の方が先立つ。NETFLIXのような事例が多いからではないだろうか?
2018年のクリスマスイブは振替で祝日なもののクリスマスは平日の火曜日。うちの大学なんてまだ冬休みに突入していなくて授業がある始末だ。クリスマス関連商品はクリスマスを通り過ごすと大抵が売れ残ってしまうし、次にお正月というイベントがすぐに迫っている。
このような状況からクリスマス用に広告を打つよりも、一足早くお正月をターゲットとして宣伝していく方がコスパがいいと考えられたのではないだろうか?
今の大学生の価値観が理由?
僕は大学生で、身の回りの話を聞く年代も同様に大学生になる。クリスマス感がないと感じているのは大学生だけかもしれない。
以下の記事はレオパレスがひとり暮らしのクリスマス意識調査だ。
ひとりで過ごす人が七割以上、クリスマスに使う予算が1,000円未満が約36%、告白の理想のシチュエーションは自宅といった調査結果が挙げられている。これでは消費拡大は見込みづらいだろう。
このような過ごし方が一般的なのだとすると、地方から来て一人暮らしをしている学生はさっさと帰省してしまう方がいいと考えてもおかしくはないだろう。実際に何人かの友人もさっさと実家に帰っている。実家に帰るとなるとまた年末年始感が高まってくると思うのだ。
需要予測の困難さが理由?
2018年2月に恵方巻きの大量廃棄が問題となった。
小売店の需要予測は多くが経験則に基づくものなのだが、近年は上手くいっていないのかもしれない。
「販売機会ロス>食品廃棄物の再商品化費用」という構図から大量の食料廃棄が毎年起こっていた。
食品ロスへの反発は年々高まっていて、消費者の社会性向上をうかがわせる。
個人の志向性の多様化も叫ばれていて、需要予測はさらに難しくなっているし廃棄に対する反発も強まっていてハードルが高まっているのかもしれない。
平成最後、が理由?
なんだかんだこれ。天皇陛下の誕生日が12/23にあり、平成の終わりを感じずにはいられなかっただろう。メディアも陛下のスピーチを取り上げていた。
今年の漢字は「災」
自然災害も多くどこか暗い印象のある2018年だなぁと思っている。オリンピックは2020年だし万博も決まって2025年。
みんな心のどこかで、早く次の年が来て欲しいと思っているのかもしれない。
2019年は終わってしまうのが名残惜しいような一年になりますように
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