国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

幸せとは、「傾き」である。

「幸せとはなんですか?」

こう問われた時、どう答えるだろうか?

 

 

お金持ちになること?美味しいものを食べること?新垣結衣と結婚すること?

まあ多分どれも確かに幸せなんだろうけど、どれもピンとこない。

 

 

 

 

 

僕がたどり着いた答えは、「傾き」だ。

 

 

どういうことか察しのいい人はわかっているかもしれないが、具体例を交えて説明していこうと思う。

 

例1

外は32度の真夏日、汗だくで駅前のショッピングモールに入ってみるとクーラーが効いていてすごくひんやりして幸せだった。

 

例2

今日は行列のできるラーメン屋に行くことにした。50min並んで、やっとの思いでありつけたラーメンは少しぬるく、店主の態度も横柄だった。二度と来るものか。

 

例3

昨日は友人が面白かったから見てみなよとオススメされた映画を見に行った。友人のオススメ通り、結構面白くていい時間を過ごせた。

 

ここまで3つの例を出してみた。1つ目は暑い空間から一転して涼しい空間へと入ったことで感じた喜び。2つ目は高い期待値をもってたのに、期待はずれだったことで感じた失望。3つ目は期待通りの結果を得られた満足。

 

ここまで書くともうオチはわかったと思うが、1つ目のような感覚こそが幸せであるという話だ。わかりやすく温度にしたが、3の例が面白くないだろうなと思ってみた映画がかなり面白かった時をイメージしてもらうとわかるだろう。

前の状態から良い方向への変化があること、その傾きがあることこそが幸せなのだ。

 

 

幸せというと、どこかたどり着くものをイメージしがちである。

f:id:naoki9918:20180929162846p:plain

図にするとこんな感じ。

だから人は〇〇大学に入ることを目的化してしまったり、何かものを手に入れること自体が幸せだと勘違いしてしまうのである。

 

確かに大学に受かった瞬間は幸せかもしれないし、ものを所有した瞬間は幸せかもしれないが、その幸せは一時的でありずっと続くものではないのだ。

 

f:id:naoki9918:20180929163031p:plain

この図のように、常に傾きがあることこそが幸せなのである。

人間は変化を嫌う生き物であり、現状維持をしていたいと思ってしまう。

確かに今に満足しようとすればできるかもしれない。その3の例のように、期待にそのまま答えるものを享受し続けることでも満足することはできる。ただ、それを超える幸せには到達できないのだ。

 

目標を達成する幸せもあるが、その目標を達成しようとして日々傾きを生み出していること自体が幸せなのである。

 

 

僕は生まれつき、悩みがちな人間だ。楽観的に考えることが苦手で、いつもいろんなことについて頭を悩ませている。少し言葉は悪いが、もっとバカだったらこんなに毎日悩んで苦しい思いをせずに幸せに過ごせるだろうにな...なんてことをよく思っていた。

 

 

 

実は同じようなことを考えたことがある人もいるんじゃないだろうか。

でも今では悩んでいること、悩めることは幸せだと思えるようになってきた。

 

 

だから悩みがちな人は一生満たされない、たどり着かないと悲観するのではなく、常に傾いていられるなんて幸せだなぁと捉え直してほしい。 

 

 

だって理想へと向かって進んで行こうとしている証拠なのだから。

無駄に悲しくなることはない。むしろ楽しみながら進んで行こう。

 

 

人間は一生勉強だという言葉を聞いたことがある。生涯学習という言葉も昨今よく耳にする。小学生の頃、僕は勉強が嫌いだったから早く勉強しなくてもよくなりたいなんて思っていた。だから生涯学習な世界なんて最悪じゃないか...なんて考えていた。

 

 

でも傾きこそが幸せなのだとしたら、大学をでて就職し、仕事もリタイアして老年期に入ったとしても、学んでいこうとする姿勢はすごく大事なことがわかるだろう。

退職して何もしなくなることで不幸せになるのだ。生涯勉強し続けられることが幸せなんだと思う。

 

 

僕が最近活動をしていて幸せだなと思うことを考えてみた。

 

ある役割を担っていてその役割を成し遂げ切って、その任から解放される時にすごく幸せを感じることがわかった。

 

そんなに解放されたいなら最初からしなくてはいいじゃないか!という声があるかもしれないがそれは大きく違うのだ。解放というこの傾きこそが幸せを増幅させているのだ。

 

 

だから、忙しい...って言いながらも頑張っている人に対して、「それじゃあしなきゃいいじゃんか、忙しいアピールすんなよ。」って批難をするのではなく、「こうやって負荷をかけながら頑張った後の達成感ってすごく幸せだよね、わかるわ」という言葉をかけてあげられると優しいなあなんて思う。

 

 

僕の好きな漫画の宇宙兄弟でも同様の主張がなされていた。

 

「なぜネクタイを締めるのかって?それは、仕事が終わった時に緩めるためだ。」

 

宇宙兄弟の登場人物であるピコが、自分が設計した宇宙飛行士の帰還船のパラシュートが開き、無事に帰還できるかどうかの場面に立ち会いに、管制室へと向かう日の朝のセリフである。

 

 

ネクタイをしたくないのならば(仕事をしたくないのならば)、最初からしなきゃいいじゃないか。って話ではないのだ。

仕事を成し遂げ切って、その緊張から解放されるから幸せだし達成感を得られるのだ。

 

 

 

責任とは重く苦しい辛いものではあるが、それと同時に僕たちに幸せの傾きを授けてくれるありがたいものなのである。

生涯学習して僕は生きていたいし、そんな世の中こそが幸せだと信じている。

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村