国志夢走

Visionを描き、自身の仕事や人生に誇りを持った人であふれ返る国をつくりたい。「みんながプロフェッショナルに出演できる」そんな社会が理想です。

"家"と"屋"が気になった件

インターンの参加などで投稿期間が空いてしまいました。今回は先日感じた素朴な疑問をテーマにした記事を書きます。

 

今回のテーマはズバリ、家と屋の違いは何か?です。

 

ピンと来た方はもうわかったはず。

先日株式会社じげんという東証一部上場企業で社長が若くてイケメンで...とにかく勢いのあるITベンチャーインターンに参加してきました。

テーマは「事業をつくる力を養う」ということで普段組織について考えている僕は、右も左もわからず苦戦しました。結果は散々でしたが、基本的な事業の考え方から難しさや醍醐味までを感じ取れた気がします。事業も組織もどちらにも精通した人材になろうと決めました。

さて、そのインターンの話はまたするとしてメッセージで事業家になりませんか?という問いかけがあったんです。

「社会を変えて動かしてきたのはいつの時代も事業家と政治である。」

この言葉を聞いた時に、政治家も事業家も"家"がつく職業だと気づきました。それから家がつく職業とはどんな職業なのか、よく使われる"屋"とはどう違うのかを考察してみたくて仕方がなくなりました。

 

違いを探ってみよう

 

"家"のつく職業を列挙してみる

・事業家、起業家、政治家、音楽家、芸術家、投資家、作家etc...

 

"屋"のつく職業を列挙してみる

・八百屋、質屋、パン屋etc...

 

他の漢字でも職業の区分があることに気づいた。師、士、官、員である。

"師"のつく職業を列挙してみる

・道化師、医師、教師etc...

 

"士"のつく職業を列挙してみる

・消防士、弁護士、建築士行政書士、代議士etc...

 

"官"のつく職業を列挙してみる

・検察官、弁務官、警察官、裁判官、神官etc...

 

"員"のつく職業を列挙してみる

・教員、公務員、会社員、警備員、清掃員、審査員etc...

 

 

例示からの考察

さて、ある程度法則性は見えてきただろうか?多分厳密な使い分けはなされていない。ここまでの例をみてこう言えるのではないか?という仮説をいくつか立ててみた。

 

・"家"はその前の単語を生業として生きているプロフェッショナルに近い

→投資で生きる、芸術で生きる、音楽で生きる、政治で生きるなど...

 

・"屋"はその前の単語を売って生きてる人たち

→パンを得るなど。そこに専門性は感じ取りにくい、販売する場所がそのまま仕事として呼ばれるようになった?

 

・"師"は敬意を払う対象、先生のイメージ

→道化師ははずれ値で、教師も医師も僕らの祖父母世代がありがたがってる職業の人たちだと思う。医者も教師も先生と呼ばれている。

 

・"士"は資格を想起させる

→名前の列挙を見るだけで、東京アカデミーかな?って気がしてくる。資格を持ってして正当性を持つ職業に多く使われる言葉なのだと思う。

 

・"官"は大きなものに使えて職務を全うする高潔さが感じられる

→神官であれば大きな神という存在の元に、警察官も裁判官も正義のもとに公務を遂行していると言えるだろう。

 

・"員"は複数同じ役職の人がいるという前提を内包している

→教員、警備員、会社員のどれもが複数人の姿をイメージできる。組織の構成員という意味合いが付与されるからだと思う。

 

 

あなたの仕事はどの漢字ですか?

政治家を揶揄するときに政治屋と言ったりする。このような背景から家>屋という関係性を持っている人も多いだろう。教師と教員だと教師の方が偉そうだから師>員だとも言えるかもしれない。

特定の職業に対しての呼称はもう慣習になっているから、職業の貴賎を示すとは言えないと僕は思っている。

ただ仕事をする自分自身が、その仕事をどう捉えて働くかは重要だと考える。

別にあなたの仕事が清掃員だってパン屋だって、なんだっていい。自分自身の仕事に誇りを持っているのかどうか、ただそれを売るという状態ではないか、多くいるうちの一人として没個性になっていないか?

みんなが自分の仕事を"家"だと思って働いてさえいればそれで良いのだと思う。

パン家、清掃家、教育家なんだって結構。自分で名乗るのは自由だ。

 

 

 

 

 

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村