世俗的な日本人はキャラ化する
橘玲作の『(日本人)』を読み驚きと学びが多く、その衝動からブログを書くことにした。
この本では日本人は協調性が高い、そんな定説をひっくり返し日本人は最も個人主義的であるという日本人論を展開している。その論証の過程が見事で、付随した学びも多くぜひ読んでいただきたい。
今回は本の要約ではなく、この本の学びとduoという企業で伺った話を元に考えたことを書いた。
[目次]
極めて異質な日本人の特徴
視座の低い日本人
大衆変革は正しいのか
キャラ化する日本人
極めて異質な日本人の特徴
(日本人)で紹介されていた世界価値観調査という世界80ヵ国を対象に、政治や宗教、働き方などの考え方の調査を行ったものがある。そこで日本人が際立っている項目がある
- 母国の国民であることにどれだけ誇りを感じるか→57.4%で香港に続く下から二番目の数字。
- 権威や権力が尊重されることについて賛成→3.2%でぶっちぎり最下位。下から二番目の国ですら22.6%
- 戦争になった時、我が国のために戦いますか→15.1%。下から二番目のドイツでも27.7%
これらのことから、国への帰属意識や誇りは低く、支配されることをひどく嫌うという国民性が伺いしれる。
また、イングルハートの価値マップというものも著書で紹介されている。
このマップの右上に日本がポツンとあるのがわかるだろう。
世界価値観調査とこのマップを合わせてみると、日本人は極めて世俗的(自己中)な人間だということがわかるのだ。
視座の低い日本人
日本人が世俗的(自己中)というのは意外に感じるかもしれないが、政治やネットを見てみるとありありと感じ取れるのではないだろうか。
- 選挙は老人向けの政策、若者を伸ばす教育には資源を割かない
- SNSになると相手の心情を考えずに、誹謗中傷を書き込む
- 未来の世代のために必要だとしても税金はあげたくない
- 逆に高齢者はもう不要だと言った心無い意見が若者から上がることもあるetc...
僕はこのような実態にひどく腹を立てている。これは見えている範囲が狭いし、国とか未来とかある程度の範囲の全体最適を全く考えることができていないのだ。
この集合体が世界で一番大きな借金を背負っている国、日本という実態を作っているように思えてならない。
視座が低いと言わざるを得ない。
大衆変革は正しいのか
先ほど述べたような現実を踏まえ、日本人全員の意識改革やスタンダードの向上を目指すいわば大衆変革の取り組みは必要だろう。
最近、迷うことがある。それは大衆変革は正しいのかということである。
世間では「意識高い系(笑)」という言葉が横行している。これも世俗性が故だと思う。
アメリカでは価値を出して尖ることが生存戦略なのに対して、日本では目立たないことが生存戦略だ。現実を見ろと言ってくるわけである。
お前だけイキイキするな、夢を目指して明るく生きるんじゃないと…
そんなごまんといる人間にアプローチして地道にボトムアップすることは正しいのだろうか。
教育においてのみは答えはyesだと思う。
誰に対しても見限ることをせず、粘り強くアプローチして可能性を見出そうとすることができる、しなくてはならない唯一の領域が教育だと考えている。
それ以外の場合においては、トップ層にアプローチすることでいい。どれだけ水を差されようとも屈せずに突き抜けた人間が、なんだか晴れやかに生きている。その様を見て次第に臨界点を超えて、意識高いなんて言葉が消えていけばいいのだ。
キャラ化する日本人
世俗性が強いが故に共同体としては付き合いが面倒だったりと、「私」と「共同体」の折り合いをうまくつけられていないのが今の日本社会なのではないだろうか。新卒三年以内に3割が会社を辞める。社内でイキイキと働いている人間はたったの6%。このような実態がその事実を示している。
視座の向上という手段を取らずに「私」と「共同体」を両方充足せることは可能なのだろうか?
特筆して世俗性の高い日本人はこれからどんな道に進むのか?
僕はキャラ化することで乗り越えていくと考える。
キャラ化するとはどういうことか?
みなさんはVtuberをご存知だろうか?架空のキャラクターが生放送やライブ配信をするという新たなバーチャル業界事業である。
その市場はこれからどんどん拡大していき、今生きているこの現実社会と同じようにこれから発展していく仮想社会ができる。その世界で新たなブランドができたりと、未開拓の土地が無限に広がるようなものだ。
これから日本人は極めて高い世俗性と付き合うための解決策としてVRを選択し、キャラ化していくと考える。
バーチャルでキャラ化することで、面倒な人の性格や背景、価値観はないものとして関わり合うことができるようになる。忖度などは不要で、リアルな人間関係では能力が3しか発揮できずにいた人が急に10発揮するようなことが起こる。反応はオフラインと同じようなリアルタイムで返ってくるのでラグなどは存在しない。
あえてたとえるなら、西欧貴族が仮面舞踏会を楽しんでいたことと近いのかもしれない。
現実社会で世俗性が故に多くの問題を抱えている日本人は、このキャラ化する社会へと急速にのめり込んでいくだろう。
法や治安といった根幹はシステムに委ねた上で、いつでも出入り可能な「共同体」と、キャラ化することで周囲を気にせず「私」を追求できる理想の世界を作って生きていくのだ。
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